(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

子どもの問いは目的ではなく手段

求められているのは返答というより、コミュニケーションではないかなあと。

答えの中身ではなくて。
子どもの問いってのは本質的な意味はあまりなくて、単純な疑問を親に向けることで、コミュニケーションをとりたいだけなのだと思う。答えを教えてくれるから聞くのではなくて、かまってくれるから聞く。
これはけっこう男女の話の差でもあったり。女性が話をふってくるときに求めているのは、アドバイスではなく同意であるとか。提案は必要なくて、合いの手とうなづきがあればいいとか。男の話ってどうしても結論まっしぐらになってしまうのだけど、結論は求められていなくて、会話という過程が求められている。
「どうしてそう思う?」みたいな質問返しみたいなのは比較的有効で、そういう質問をするにいたった背景がわかるから、会話の幅が広がったり。「ちゃんと質問聞いてたよ」というサインにもなるし。
一番やってはいけないことは突き放すこと。コミュニケーションを否定されれば、次回以降に尋ねることが重荷になる。コミュニケーションの扉を閉ざす。
その次にやってはいけないのが矮小化すること。「大学に行くためだ」とか「いい会社に入るため」とか。大学に行った後、いい会社に入った後の想像力がなくなってしまう。可能性の扉を閉ざす。
子どもの何気ない問いにきちんと返す。そういう大人でありたいな。なかなかどうして難しいんだけども。