(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

価値観の絡む話にこそ一貫性を

あらま、辞任するんだ。

鉢呂吉雄経済産業相は10日夜、東京・赤坂の衆院議員宿舎野田佳彦首相と会い、辞任を申し出て了承された。

http://www.asahi.com/politics/update/0910/TKY201109100390.html

ここではあえて辞任すべきかどうかについては書きません。ま、それは考え方の問題なので。
今回問いたいのは、その考え方の一貫性の問題。例えば、今回の件は問題であると。失言という認識を前提にすれば、大臣は辞めるべきとなりますよね。そういう考え方であれば、今回の辞任はその論理に沿った正しい結論であるわけですよ。「それでいい」という話なわけです。むしろこの結論を早く導いたことをほめてもいいくらい。
で、こういう人が辞任を批判しちゃうと、論理がややこしくなる。論理に一貫性がない。辞任を推奨しておいて、辞任したら「責任逃れか」みたいなことを言ってしまうのは、辞めても辞めなくても批判ということになるわけで。「どっちでも同じかよ」というなんとも締まらない話。
結局のところこういう話ってのは、ひとつの行動に関し、両側の見方ができてしまう。早期辞任を「責任逃れ」と解釈することもできるし、「けじめ」とも受け取れる。「原発政策の混乱を深めた」と取れるし、「原発問題への波及を止めた」とも取れる。
大切な事は、こういう両側の見方ができるときに、どちらが正しいのかを決めることではなくて、どちらの見方をしているのかという点と、その見方に応じた一貫性のある主張をしているか。片側を善にし、片側を悪にするのではなく、ふらふらしているのか、ビシッとまっすぐなのか。
批判にしても賞賛にしても、こういう価値観の絡む話に関してはここを問いたい。一貫性はそこにありやなしや。