(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

総とっかえじゃプラスにならない

話はとても単純だと思うんだ。

大阪市橋下徹市長が導入した公募制度で就任した民間出身の校長や区長による騒動が止まらない。とりわけ4月に着任した校長は11人のうち6人が不祥事やトラブルなどを起こしており、「11分の6」の衝撃は市議会の猛反発を招いている。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130920/waf13092022490024-n1.htm

公募だけでは解決しないってだけで。
従来通りの制度だけではダメだと。民間出身の人間も必要だと。それはひとつの問題意識であって、話のスタート地点としては悪くないことだと思う。
ただ、だからといって、話の焦点をそこだけに合わせてはダメだよねというだけ。民間出身の人間を集めれば、すべて解決するわけじゃないよねってこと。
今までのやり方が悪かったという場合に、今までのやり方を全部変えてしまうと、今まで良かった部分も失ってしまうことがある。短所を補おうとするあまりに、長所までなくなってしまう。
であれば、すべて変えるのではなくて、もう少しミックスできないのかな? と思うわけだ。単純な「教師のプロ or 民間」という二者択一ではなくて、なんで両取りできんのよという疑問があるわけだ。
教育の現場に民間の知恵を持ち込むことで、教育のレベルを上げようと言うなら、単純に民間の人間を教育現場の責任者にするのではなくて、より民間の立場や考え方を理解している人間を責任者にする方法だってあると思う。
それは元教員であったり。塾や予備校での指導経験者であったり。まるっきり教員内部の人間ではないにしろ、ほどほどに教員事情がわかりつつも、民間の経験も同様にあるという。そういう人間を集めるという方法はなかったのかなあと。
教師か民間かという選択は、一か八かという二者択一でしかなくて、どちらのメリットを重く見るか、あるいはどちらのデメリットを重要視するかという話でしかない。冴えたアイディアというのは両取りを目指すもので、教師の専門性を保持しつつ、これまでの校長像にプラスαを求める民間の活力という話であれば、もう少し工夫が必要なのかなと思う次第。

「畑違いの人材を教師という玄人集団のトップに立てるのは無理がある」

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130920/waf13092022490024-n3.htm

これは一理あるんだけど、だからといって閉鎖された組織でいいという話でもなし。玄人集団のトップにも立てる程々に畑違いの人間をどう集めるか、どう選定するかという網かけの問題だと思うわけです。
まあ、何でも置き換え可能な話なんだけどね。官僚主導か、政治主導かとか。突き詰めると、「両方のメリット追えや!」で済む話なんだけどなあ。どっちかのみじゃ、なんかプアだよね。
今日思ったのはそんなところです。はい。