(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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続・被災地の今を訪ねる(5)

続・被災地の今を訪ねる(4) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。
国道6号線を南へ。浪江方面に走る。


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まずは常磐線磐城太田駅へ。


特に変わった様子はない。


昨年の状態と比較すると、一年分色あせた印象はある。多少は手を入れているだろうが、草木の伸び方が一年の経過を物語っている。
続いて桃内駅へ。

駅はすっかり廃線同然の姿になっていた。

奥のぐにゃりと曲がるレールが痛々しい。

駅名表示板はつたに覆い被されていた。
人も来ない。電車も走らない。そうなると駅はこうなる。
さらに南に走り浪江へ。ここは昨年は入れなかった場所。立入禁止の区域が狭まり、今年は入れるようになっている。
走っていて目についたのは、国道6号線からの脇道全てに警備員がいたこと。

こちらのブログで書かれている風景そのまま。警備員が立ち、看板があり、道を遮っていた。
交通量がほとんどなく、人が歩いている様子もなく、行き交うのは除染関係者の車両のみ。町はゴーストタウンとなっていた。
南相馬では海岸の工事などが行われていたが、浪江では工事という段階ではなく、一も二もなく、まずは除染。当然人が住むという段階ではなく、あらゆるものがそのままにされている。
念のため放射線量を測るが、0.10μSv/h前後の数値で特に問題はない。いや、問題がないからこそ入れるようになったのだろうけども、目に見えない放射線がある限り、復興の端緒もつかめない。
「壊れたものを戻す」という可視化された課題がある被災地に比べ、浪江ではその課題すら見えない。線量計などで間接的にしかそれがわからないというところに、問題の根深さを感じる。

続いて原町火力発電所へ。甚大な被害を受け、運転を停止していたが、復旧を果たし運転を再開している。

近くの浜もきれいに整備されていた。


一方で発電所脇の堰は相変わらず壊れたままだった。


一年前の姿とまったく変わっていない。
しかし発電所同様に人手と時間をかければ元通りに直すことはできる。目に見えるものは、目に見える手段で直すことができる。
福島原子力発電所の壊れ方と、原町火力発電所の壊れ方。同じ津波の被害を受けながら、大きな違いが出ていることは明白だった。目に見えないものは、人はどうすることもできない。
(つづく) 続・被災地の今を訪ねる(6) - (旧姓)タケルンバ卿日記