(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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続・被災地の今を訪ねる(8)

続・被災地の今を訪ねる(7) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。
海沿いを走り、女川へ。


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女川湾の港では、多くの重機やダンプが動きまわっていた。真新しいテトラポッドや、土のうなどがそこかしこに並び、港湾整備の工事にあたっているようだった。
地盤沈下で低くなった埠頭は、新たにコンクリートで嵩上げされていた。港の治水工事はかなり進んでいる様子だった。
昨年と同様、女川原子力発電所を正面にする小さな港に来た。

相変わらず木に取り残されたブイなどがそのままになっている。

とはいえ、昨年と比べ片付けが進み、港の機能を取り戻しているのは明らかだった。

昨年の時点では瓦礫がそこかしこにあったのだから。

この土のうがあるということは、治水対策が施されたということ。昨年はなかったこの土のうが随所に見られた。港湾や河川沿い。あらゆるところで。

北上川沿いのところも平穏な田圃の風景を取り戻していた。

昨年の時点ではまだ爪あとが残っていた場所だ。

立ち枯れていた木が並んでいた場所は、すっかり伐採されていた。


昨年の状態は治山に詳しくない人間でも不安を覚える光景だった。
このような森林は、あちこちで伐採され、治山工事も順調に進んでいるようだ。

崩落した斜面のコンクリートもすっかり取り除かれている。

昨年は惨状がそのままになっていた。
このトンネルを走っていた気仙沼線は、震災被害を受けた地域でBRTによるバス輸送を開始している。


BRTでは線路跡の一部をバス専用道路として使用している。


元々気仙沼線は単線だったため、線路跡が一車線の専用道路として使われている。
このトンネルも整備され、BRTの専用道路として使われている。

しかしながらBRTとしての整備が進むということは、同時に鉄道路線としての再建が難しいということでもある。

地元の願いは鉄道路線としての復旧。しかし現実に復旧するとなると、鉄道路線の移設が必要になる。どこに通すか。誰がお金を出すか。そしてそこに三陸特有の地形の問題もある。人が住んでいるのは沿岸。しかし路線を通すとなると沿岸から離れる。果たしてそこに需要があるかどうか。
既に移設が決まった常磐線での話とはまるで様相が異なる。
北へ行けば行くほど人口は少なくなる。沿線住民も減る。そこに当然の如く経済性の問題が絡んでくる。
復興の規模を決めるのは、人口の規模であり産業の規模であるという現実がそこにはある。
(つづく) 続・被災地の今を訪ねる(9) - (旧姓)タケルンバ卿日記