凄くいい流れなので、俺も参戦しよう。
ディベート的な観点から書きます。
ディベートは「極端 VS 極端」
ディベートではある論題について相反するふたつの極端な立場にたって行います。要するに「賛成か反対か」ということです。
「死刑廃止」という論題であれば、賛成側は死刑廃止を訴え、反対側は死刑存続を主張します。
「消費税増税」という論題であれば、賛成側は税率引き上げを主張し、反対側は税率据え置きを主張します。
「タケルンバは素敵」という論題であれば,賛成側はタケルンバの素晴らしさを滔々と述べ、反対側はタケルンバを徹底的にこき下ろします。
極端な立場にたつということは、そういうことです。
一方的にすべて正しい極端な立場なんてない
ディベートで行う論題の場合、どちらかの立場が一方的に正しいということはありえないということです。
「死刑廃止」であれば、死刑廃止が絶対的に正しいわけではなく、死刑存続が絶対的に正しいわけでもない。
「消費税増税」であれば、税率引き上げがすべてにおいて正しいわけではなく、税率据え置きがすべてにおいて正しいわけでもない。
「タケルンバは素敵」であれば、タケルンバは完全無欠であるわけではなく、かといって完全欠落のダメダメ人間であるわけでもない。
どちらの極端な立場にも利はあるし、非もある。有利な点、不利な点。メリットとデメリット。双方にそれぞれあるのが普通。
ま、そういう状態であるからディベートというゲームが成立するという現実もあります。ディベートする前にどちらかが一方的に正しかったらゲームにならない。「ジャンケンで先に賛成側をとった方が勝ち決定」とかだったら議論する意味ありません。
一見敗北濃厚な「タケルンバは素敵」の反対側であっても、一方的に弱いわけではありません。「嫁がいる」→「タケルンバは素敵だから嫁になってくれている」ほらね。
「正しい」は限定的
ですので、それぞれの立場の「正しい」は限定的になります。条件付きが普通。
端的に言えばTPO。時間、場所、場合。この条件の範囲内において自らの立場は正しく、相手方は間違いであると。「正しい」というより「向いている」というのが現実のところ。
消費税の話で言えば経済環境なんてのはTPOの最たる例です。今、日本において引き上げるべきなのか。
あるいは私の話でいえば「仕事しているときはイケてる」とか。いつもはサッパリだが、あるときはイケてる。あとはその条件がどれだけかなうか、どれだけ重要かの争いになるわけで。24時間仕事していれば「いつもイケてる」になるわけですし、全然仕事していなければ「いつもイケてない」になるわけです。
極端な立場で争う場合においては、絶対的に正しい立場はないということ、正しい条件は限定的であるということ。この2点が重要です。
絶対的に正しい立場がある場合
それはもう結論が出ている話なので、論争する余地もありませんね。しょうがないね。
正しい条件が限定的ではない場合
オールマイティに強い立場であるなら、もう突っ込みどころがないですね。しょうがないね。
どうやって優劣をつけるのか
ディベートはゲームなので勝敗をつけます。勝敗をつけるということは、判定する人がおり、判定する方法があるということです。
ディベートでは大まかに言って、まず立論というパートでそれぞれの立場を述べ、質疑応答で相手の主張の弱いところをさぐり、最終弁論において議論をまとめます*1。
立論ではどういう立場で賛成するのか、反対するのかを述べます。カードの手札をさらして「私はこれで勝負します」というようなパートだと思ってください。
ここではそれぞれの立場の正しさの最大値を主張します。もう絶対的に正しい。正しくないわけがない。なんでこっちの主張を受け入れないんだ。そのくらいの勢いで。
質疑応答はその「正しさ」を攻めるパートになります。「絶対的に正しいというけど、こういう場合どうなの?」みたいなケースを突っ込んでいくわけですね。
最終弁論はそうした弱みを見つけた過程をまとめ、「ほらね、やっぱりうちらの言うこと正しいよね」と言うわけです。
イメージとしては、立論で主張した最大値を質疑応答や最終弁論で削られていく感じ。
- 俺は浮気はしない
↓「生涯しないと言い切れますか?」
- 多分しないと思う
↓「多分とは、する可能性がある?」
- しないんじゃないかな
↓「断定はできない?」
- ま、ちょっと覚悟はしておけ
さだまさしモデル。
こんなやりとりを経て、最後に賛成側と反対側が主張した果実のうちの何が残ったかを比較し、優劣を比較するというのが一般的なディベートの判定法です*2。
浮き上がってくる条件
極端な立場で争うと、その極端な立場の片側が一方的に正しいという話は否定されますし、仮に正しくても、いろいろな条件がついた限定的な話となってきます。
お互いに「絶対に正しい」という立場でディベートを行いますが、議論の過程で弱いポイント、デメリットが浮かび上がります。TPOの中身が判明していきます。
実はこれがディベートのメリットで、あえて極端な立場に立つことで、両者の立場の真ん中にあるものがわかる。条件Aなら賛成側が有利だし、条件Bなら反対側が有利だ。条件Cが可能なら賛成側にまわる必要はないし、条件Dが実現するなら反対側の意見でいいよね、とか。そういう様々な条件が見えてきます。
例えば「死刑廃止」の論題で言えば、賛成側は反対側に対し「冤罪の可能性」は必ず攻めるべきポイントです。やってもいない犯罪の加害者にされて、生命が奪われてしまう。これは大問題です。
そうなってくると「冤罪がなければいいの?」という論点が出てきます。冤罪の可能性がない司法システムならおkと。
実際にそういうシステムなんて作りようがないわけですが、極端な立場で争うと、こういう条件解除のパターンが出てくる。もちろん「生命は犯罪者であっても国が奪うことは許されない」という別論点もあります。こうなれば冤罪の話というより、生命倫理の話になるわけですけどね。ああ、この話は難しい。
消費税の話は経済問題であり、お金の話なので、もっとわかりやすいです。
- 法人税増税じゃダメなの?→法人税じゃ企業がどんどん海外に逃げちゃう→法人税を上げても企業が逃げない税制にすればおk
- 消費税増税はなんでダメなの?→消費税は収入が少ない層にキツイ→じゃ食料品とか軽減税率適用すればおk
こんな感じで対策とか見えやすい。
はじめからTPOを設定して、限定的な話にすると、両者とも逃げ続けのわけわからん話に終始する可能性が高いけども、逃げ場のない両極端な舞台を設定することで、結果的にTPOとかも見えてくるって寸法です。
とまあディベートというのは極端な立場に立つことで、両極端ではない真ん中にあるマイルドな何かを見つけ出すことができる手法です。
- 極端な立場は大抵正しくない
- 正しい場合、それは結論が出ている話
- 正しさは常にTPOがある
- 絶対的に正しくないということをわかりつつ、絶対的に正しいととりあえず主張してみるディベーターのサガ
- これはもうお約束の世界
- 絶対的に正しいと思い込む人間はディベートとか議論に向いてない
このあたりをまとめとして本日はお開き。ご精読ありがとうございました。
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