(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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続・被災地の今を訪ねる(9)

続・被災地の今を訪ねる(8) - (旧姓)タケルンバ卿日記 より続きです。
陸前戸倉セブンイレブンで一息入れ、ひたすら国道45号線沿いに進む。


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道路から見える風景はあまり変わらない。壊れた橋脚。水面が高い川。地肌が顕になった崖。積まれた土のう。真新しいコンクリート。茶色の大地。動きまわる重機。そして不自然に盛られた丘。
少しずつ人の手が入ってきてはいる。直され、新たに作られた気配がある。そこにあったものが少しずつ撤去され、新たな土台が作られようとしている。
ただ、そのあたりに議論があるのも確かなようだ。

南三陸町の防災対策庁舎に来た。

観光バスが停まり、皆が手を合わせて行く。千羽鶴やお花が捧げられている。
この場所は震災のシンボルとして。慰霊の地になっている。

少し離れた場所から見ると、正にポツンと建物の骨組みが残っているのがわかる。
震災当日、この庁舎に集まった人たちは屋上に逃げた。そしてその屋上までも津波の被害を受けた。屋上にあるアンテナなどにしがみつくなどして、流されなかった者は生き延びることができた。そう思って建物を見上げると、津波の規模の大きさを何よりも雄弁に語りかける。
しかし、この建物も取り壊しが決まった。

また1つ、津波の猛威を伝える「震災遺構」が消えていく。保存か撤去かで町の方針が二転三転していた宮城県南三陸町の防災対策庁舎も、正式に撤去が決定。震災を風化させないために残すのか、惨事を思い出させないために撤去するのか、賛否が渦巻くなかで被災自治体は揺れている。

「震災遺構」で揺れる被災地、南三陸庁舎も撤去 :日本経済新聞

このあたりは地元の考え方の問題なので、なかなか難しいが、その地元ですらも意見が割れているというのもまた現実だ。

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例えば、南三陸町ではこの場所に堤防を作ろうとしている。防災対策庁舎からだいぶ内陸に入った場所だ。

この場所に果たして大規模な堤防が必要なのだろうか。このあたり、意見が一致しているわけでもない。

気仙沼に打ち上げられた第18共徳丸は解体されたが、これとて反対の声もあった。

誰かが決めなければ何も進まない。それも事実であり、決まっていくこと自体に価値もあるが、その決まった結論が正しいかどうかにもまた議論があるということも事実である。
遺構を残すという価値観と、遺構をなくすという価値観。どっちが正しいかどうかは、少なくても実際に津波の被害を受けたわけではない自分にはわからない。わからないから、決定の正しさもまたわからない。しかし決定がなければ何も決まらず足踏みとなる。これはなかなか難しい。
気仙沼を抜けると岩手県に入る。岩手県に入るとダンプが減る。新たにコンクリートがかさ上げされた港を見なくなる。
地域差が現実的にあるようで、福島県宮城県岩手県。この三県しか見ていないものの、被害の内容と復興の度合いにおいては、県ごとの違いが大きくなっている。
陸前高田を抜け、大船渡を走り、釜石を通過して宮古に出た。昨年は宮古に着く頃にはすっかり日暮れており、市内を見ることができなかったが、今年は石巻に宿をとったこともあり、日没に間に合った。

田老地区のホテルも、南三陸町の防災対策庁舎のように、骨組みだけを残していた。窓ガラスなどが壊れている3階までが津波の被害にあったのだろう。

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ホテルの裏側に高台がある。震災当日、津波被害を避けるために住民の方々が避難した場所だ。

見下ろすと静かな海の風景が広がっていた。その静けさと、津波によって建物がなくなってしまった町の風景がとても不釣り合いに見えた。
(おわり)