(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

環境のためなら行政が動かなくていい

古紙偽装でさいたま市の紙が足りねえそうです。

まあ一言で言えば「アホか」ですわね。何のための古紙使用かと。
結局、古紙を使っているのは「古紙を使ったほうが環境に優しい」からなんですよ。「環境のため」なんですよ。そこが目的。その手段が「古紙使用」。この順序を間違っちゃならねえ。
もっと言えば、何故紙が必要かというと、「円滑な行政業務の遂行」なわけですよ。であるならば、古紙だろうが新紙だろうが、紙は欠かしちゃならんのです。それは優先順位がこうなっているから。

  • 新紙×古紙○ → 古紙の方が環境に優しいから
  • 古紙×環境○ → 古紙を使うかどうかより環境の方が大事だから
  • 環境×行政○ → いくら環境に優しくても業務が滞っちゃ意味がねえ

わかりやすく喩えると、健康のために死んじゃ意味がねえわけです。「健康のためなら死んでもいい」はなかやまきんに君だけで結構なわけです。長生きのための健康なんで。で、この古紙の話は、元々行政の中で出来る範囲内の環境対策という主旨なわけで、古紙にこだわって業務ができねえなら、こだわる意味がねえわけですよ。古紙かどうかより市民の一般生活なわけでね。
これは環境問題全般そう。環境環境言うけども、環境問題というのは、今までどおりの生活が出来ないかもしれないからこその問題。である以上、今までどおりの生活を壊してまでやるほどの意味はない。無理のない範囲内で取り組んでこその話。無理矢理にやっても仕方ない。
そもそも古紙を使うことが環境に良いのかというあたりから議論が必要なのですがね。リサイクルは余計にエネルギーを食うというのは比較的常識でして。リサイクルしても環境はよくならん。
そんなことするより、花粉の原因となっている針葉樹を広葉樹に植えなおし、定期的に植林・伐採をするシステムにしてみるとか。昔の山のシステム。そうすれば最も効率的に樹木に二酸化炭素を吸収させられる。実は樹木は大きくなる過程で二酸化炭素を吸収し、酸素を出すわけで、年とると光合成しねえわけですよ。枯れちゃえば光合成どころじゃねえし。なので大きくなったら伐採して苗を植えなおすというのが最も環境に優しい。その過程で伐採した樹木からパルプをつくり、そのパルプを使用した紙を使うことにするとかねえ。循環型の環境対策って、本当はこういうことじゃ?
またそうすりゃ花粉症に苦しむ人も減るし、広葉樹は保水力が高いので、地すべりとかの治山治水対策になる。広葉樹林にはキノコやドングリ、栗なんかもできるので、エサに困った熊や鹿が里山に下りてくることもなくなるはず。あるいは広葉樹林には落ち葉掃除など、日常的に山の手入れが必要なので、必然的に雇用対策になる。手間がかかるからこそ、そこに人の手が必要になるわけで、地方の景気振興にいいと思いますがね。そんなに高くつく公共事業じゃねえし。
回収して何度も使うという貧乏臭いリサイクルじゃなくて、苗が大きな木になる過程で二酸化炭素を吸収し、大きくなった時点でその木を伐採し、紙とか材木とか割り箸として利用する。最後は燃やしてエネルギーに。そうしている間に同じ土地にまた苗を植える。そうすれば常に同じ土地から生まれたエネルギーと、吸収するエネルギーが行って来いになる。こういう大きい循環を意識した方が環境に優しい気がしてならねえです。マイバックが環境に優しいとかは噴飯モノ。ま、一応使ってるけどさ。