(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

極端な答えに正解なし

これはディベートなどを経ての知見で、これがわかっただけでもディベートをやる意義はあったなあと思う話なのですが、思うに、極端な答えに正解はありませんな。「白か黒か」みたいな単純な二分論に答えはない。現実は複雑で色々な要素が絡まっており、単純に割り切れるものはない。絶対の答えはないし、現実の答えはすべからず曖昧で、多様で、実はつまらないもの。時と場面によって違うし、人や環境によっても左右される。
イメージとしては、良さげなステレオの重低音とか、高音のコントロールみたいなもの。心地よいポイントって人それぞれで、大体真ん中付近にあるんですよね。はじっこがポイントということは少ない。現実の答えも同様。意外と真ん中に答えはある。
「○○が正しく、○○以外はおかしい」って話は基本的に間違い。世の中に絶対的な正解がないように、絶対的な間違いはないわけですが、もし絶対的な正解があるとすれば「絶対的な正解はない」ということだし、絶対的な間違いがあるとすれば「絶対的な正解がある」。「○○が正しく、○○以外はおかしい」という話に関しては自信持って「お前がおかしい」と言える。そんな都合の良い話はないし、こういうことを言うヤツは詐欺師の類と思って差し支えない。
特に宗教なんてそうよね。どの宗教も基本は現世幸福と道徳心を説き、「人はどうあるべきか」というあり方を考えているわけですが、こんなものに絶対的な正解はないんだよね。幸福や道徳心の基準、「人はどうあるべきか」みたいな話は相当ブレがある話で。なかなかひとつにまとまるもんじゃないし、まとめるもんでもない。
政治もそう。よく「大きな政府」か「小さな政府」みたいな二者択一の話がよく出るけども、どっちかが正解で、どちらかが不正解ってことはない。「大きな政府」で何でもかんでも政府がやろうとすると民間の活力がなくなるし、政府も財政破綻しちゃう。だから「小さな政府」だって話になっても、やるべきことまで放り投げられても困るわけだよね。
ってことは、こういう話の正解は、両者の程よいバランス部分にあるわけですよ。基本姿勢はどちらかでいいけども、かといって反対側の話を程よく取り込まねばならない。「大きな政府」っていっても、絞るところは絞らなければいけない。一方「小さな政府」っていっても、使うところは使わなくちゃいけない。そうなると自然と真ん中よりの面白みがないところに寄っちゃうわけですな。現実的な妥協というか、必要であるべき調整というかね。心地よいバランスは真ん中寄りにある。
ただ、こういう具合のいいバランスというものは、極端な立場でものを考えたときに出ることも事実。極端な立場に正解はないわけですが、極端な立場で考えたほうが正解に近づく。例えば「もっとも魅力的な女性の年齢は?」みたいなときは、片や15歳、片や60歳みたいな立場で話すといい。極端な立場でものを考えると、理由がスッキリする。この場合では15歳が何故女性としてベストなのかを考えることで、15歳にあるベスト理由を見つけることができるし、逆に60歳側も同じように見つけることができる。その理由がハッキリすれば、あとはどの年齢がお互いが主張する理由を兼ね備えているかを見つけるだけ。15歳側が「若くてピチピチ」、60歳側が「熟れた大人の色気」であれば「どの年齢が若さでピチピチであり、同時に熟れた色気があるのか」と。こう考えると両者のバランス点が見えてくる。端っこから真ん中に近づいていった方が答えは出やすい。
極端なものに正解はないが、正解に近づくには極端な立場で考えたほうがいい。これがオレの知見。尚、15歳未満好きのハードロリと、60歳オーバー好きのハード熟女好きは無視してみた。さすがにいいだろ、この層は。文句言われたら「スーパーニュース」で謝罪するのでよろしく。 >フジテレビ