(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

恐るべき想像力の欠如

「想像力の欠如」という一言に尽きる話。国会議員が電凸したらどうなるか? ……普通わかるだろ。

映画「靖国 YASUKUNI」の中心的出演者で刀匠の刈谷直治さん(90)夫妻=高知県在住=から有村治子参院議員(自民、比例)が事情を聴き「刈谷さんらは出演シーンの削除を希望している」と主張していることが分かった。李纓監督(44)は9日、共同通信のインタビューで「出演を納得してくれていた夫妻を変心させた。許せない介入だ」と訴えた。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008040901000995.html

稲田朋美もそうだけど、国会議員という肩書きの重さをわかってないよなあ。事前に「見せて」と言ったら、その気はなくても検閲だべや。国会は三権分立のひとつで、国権の最高機関。その構成員である国会議員の定数が722人ということは、国会という権力の722分の1を行使しとるわけで。「その気はなかった」じゃすまされないだろ。
この件も同様。電凸したらどうなるか? 一般人じゃないからね。国会議員だからね。いいように答えを引き出すことも可能だべや。その気はなくても誘導尋問できるし、それだけの重みのある肩書きを背負っているわけで。そういうのを悪用しちゃいかんわなあ。ちょっとひどすぎる話。
「好ましくない」という意見はわかる。まあそういう主張をお持ちなんでしょう。それはいい。ただ、それならば「好ましい」という意見を理解しなくてはいけない。「好ましくない」という意見があるなら、「好ましい」という意見もある。これが世の中というもの。でもって思想信条の自由って、そういうことをどう思おうが勝手ですよと。優劣ありませんよ。ご自由にどうぞと。そういうものじゃないかねえ。
この映画が好ましくない。ま、それはそれでひとつの信条。思うのは勝手。でも、だからと言って自分以外に「好ましくない」を押し付ける。これは自由の侵害。そこに国会議員としての肩書きを加える。これが権力の濫用。722分の1の権力の濫用。公開前にあれこれやるのは検閲であり言論封殺であり自由に対する侵害になりうる。直接的にはその気はないし、そうしようという具体的な行動はなくても、結果的にそうなる。国会議員という肩書きがそうさせるという想像力がないよなあ。
ま、国会議員からチベットに対する声が上がらないあたり、言論封殺を諒とする方が多いんだろうけど。これがアリなら、中国をクサしようがないもの。中国がチベット関連の報道を制限したり、ネットのアクセス制限かけてるのと根っこは一緒の話。権力者が好ましい情報と好ましくない情報を選別する。……権威主義体制と一緒。「権力者」を「国会議員」とか「有村治子」「稲田朋美」に置き換えてみればいい。
偏った思想、偏った体制は、それを保持するために報道の自由を許さない。現体制への批判を許さず、ただ賛美だけを許す。中国しかり北朝鮮しかり、いつぞやのイラクしかり。それと同じ穴のムジナという意識が欲しいねえ。本当の自由主義社会は、国にとって都合の悪いことでも、話したり公言したり報道できるものなんだけどな。
……ま、彼奴らは想像力がねえ人たちだから、わからんか。暴走特急、独裁行き。本日も順調に走行中。