(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

悪いのはプロフなの?

こういう事件があると、すぐにモノのせいになるんだよなあ。プロフきっかけの殺人未遂事件。

柏署員が駆け付け、現場にいた柏市居住の無職の少年(17)が「プロフィルサイトに悪口を書き込まれたのでやった」などと供述したことから、殺人未遂の現行犯で逮捕した。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080423/crm0804231142016-n1.htm

案の定、プロフには危険性があるだって。

初対面の2人が互いに中傷し合っていたとされるプロフィルサイト(プロフ)。専門家は裏サイト化しやすく、いじめや事件に巻き込まれやすい一面を指摘している。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080423/crm0804231945038-n1.htm

ま、危険性がないとは言いませんよ。そういう使い方も出来る。ただ、そういう一面があるかと言って、それを危険と呼ぶのはどうなのかね。そういう物事の単純化で話は解決するものなのかねえ。つい最近も2ちゃんねる型の掲示板が問題だと、2ちゃんねるが名指しで批判されてたし。

巨大掲示板2ちゃんねる」などの「スレッド(テーマごとの書き込み群)型」に全体の9割近くが集中。裏サイトの多くに有害広告がついている実態もわかった。

http://www.asahi.com/national/update/0415/TKY200804150317.html

でも、こういう現実や事件の発生と、2ちゃんやプロフとの因果関係を求めるのは筋違いだと思うよ。だって、事件の形式自体は昔からあるパターンだもの。それが今どきの形になっているだけで、2ちゃんやプロフが生み出した犯罪じゃない。
今回の事件だって、単純化するとこういう構図でしょ。

  • 誰か悪口をプロフに書いているヤツがいる
  • そいつを特定した
  • 「てめえ、コノヤロー!」

昔からあるケンカの構図でしょ。話のきっかけである悪口は、面と向かって言うか、隠れてコッソリ言うか、プロフで書き込むかどうかの差。プロフという手段が増えただけで、ガキ同士のケンカという構図は何もかわってない。「オマエのかーちゃん、でーべーそ!」をリアルで言うか、プロフというバーチャルに書くかの差で、事件の本質は今も昔も一緒。2ちゃんやプロフがつくりだしたものとは到底言えない。
ま、こういう話をプロフのせいにするとラクなのは確かなんだよね。難しい話にならないから。今も昔もあるような事件だってことは、子どもへの教育の問題とか、社会のあり方とか、地域としての責任とか、親の存在意義なんかの広範な話になって、すごく難しい問題になり、なかなか答えが出ないはずなんだけどね。本当は。
でもこれをプロフのせいにすると、妙にスッキリする。プロフが悪い。以上。でもそうなのかな。プロフをそういう風に使うほうが悪いんじゃないかな。また、そういう意識がプロフを危険にさせるんじゃないかな。そこの対策を怠っている限り、こういう事件は何も解決しない。結局、プロフ以外のものを使って、同じ目的を達成しようとするのでは。
悪口やイジメの問題はそれが行われている場所だけの問題じゃなくて、悪口を言う意識や、イジメをする意識の方が問題な気がする。時代を超えて、世代を超えて、そして場所を変えて悪口やイジメがあるのは、そういう根本原因が何も解決してないからでしょうに。
結局、こういう話は大体において、ツールやハードや場所や環境の問題じゃない。その中身の人間の問題。意識やソフトや運用の問題。プロフに規制をかけても意味がない。イジメの意識がある限り、それは形を変えて行われる。元栓を閉めないとまったく意味がない。
包丁が凶器に使われた。では包丁が危ないのか。包丁に問題があるのか。あるいは硫化水素がらみの自殺が増えている。そうなると洗剤は危ないのか。車の事故が多いと車が悪いのか。2ちゃんに事件の書き込みがあると2ちゃんが悪いのか。違う。全部違う。使い方の問題であり、使わせ方の問題。本当は全部安全に使えるんだよ。また使い方を良くすることで防げる問題なんだよ。そういうソフトの問題に落とし込んだほうがいい。
それに悪いとイメージできるものに意識が行き過ぎる。都合のいい解釈というのかな。最近はアーミーナイフの所持で捕まるケースが多いけど、あれより危ないものなんていくらでもあるからね。凶器のイメージがまったくないものでも、人を殺そうと思えばいくらでも殺せる。例えば最近はあまり見なくなったけど、感熱用紙タイプのFAXの芯。あれ、スゲエ堅いって知ってます? 家にある人は試しにポコッと自分の頭を叩いてみて下さい。星が出ます。結構出ます。勢いよく出ます。知られてないけど、あれは十分な鈍器として成立する堅さなんです。そこそこの大人があれで誰かの頭をぶっ叩けば、叩かれた相手は失神必至ですし、打ち所によっては死ぬかもしれない。
でも、誰も凶器としての対策を求めないですよね。「問題だ!」「芯を柔らかくせよ!」とか。聞いたことがない。それはたまたま凶器として使われた事例がないだけなんですよ。一般的に凶器になることが知られてないだけ。イメージされてないだけ。でも、相手を傷つけようという意識があるヤツが持てば、立派な凶器になりうる。怪しまれずにスーパーや文房具屋で買えるし、安いし、足がつかない。燃やしちゃえばわかんねえし。それにアーミーナイフなんかより、よっぽどストロークが長いしね。A4用紙で21cm。アーミーナイフは刃渡り6cm程度。3倍以上。しかも刃の向きとか気にしなくていい。腕でも頭でも、ぶっ叩けばいいわけだからさ。
つまり、こういう危険性ウンヌンの議論は、モノより人、モノより意識なんです。危なく使うヤツ、危なく使おうとする意識に問題がある。そこに手を突っ込まなくてはいけない。人の悪口を言ってはいけない。人をいじめてはいけない。暴力を振るうなかれ。傷つけるなかれ。こういう普遍的な価値観や道徳心を教え込むところにあって、それがないうちはどういう環境であろうとこういう事件は起こりうる。
それを親としてできるか、近所の住人としてできるか、社会の一員としてできるか。話の大本はここ。サボってプロフとかのせいにしてもしょうがない。モノのせいにしているうちは、いつまで経っても本質的な解決につながらん。難しいからこそ、そういうことを考えないとね。簡単な解決は堕落を生むのみ。プロフをなくしても、プロフの代わりが生まれるだけだよ。