(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

速読は育ちで身につく

基本的に後天的に身につけるようなタイプの能力は、必要に迫られることで身につくと思う。中でも速読ということに関しては、個人的にはこういう傾向がある気がしてる。

親・兄弟と同じものを読んで育つと、読むのが早い。

個人的な知見に基づく思い込みなので、科学的根拠はないんだけど、自分とか周り見てると、どうもこんな傾向がある気がするんだよな。

ヤツは後ろから迫ってくる

子どものときマンガを読んでる。3巻を読んでるとする。すると兄弟(大体は兄・姉)とか父親が1巻から読み出す。ある地点で追いつかれる。4巻を見ている途中で、ヤツは3巻を読み終える。
「速攻で読むから、先に4巻見せてくんね?」
これがイヤだったんだよなあ。スゲエイヤだった。オレの場合、上がいなかったので(妹が1人いるだけ)、アニキ・アネキにそれをされることはなかったのだけど、オヤジが無類のマンガ好きで、しょっちゅうこういうことがあった。後ろから追いつかれ、先を譲るという敗北感というかねえ。ちょっと大げさかもしれんけど、なんかそんな感覚があるのよ。ちょっと悔しいのよ。

待つ時間の虚無感

またこれってマンガ読みとしては非常につまらん。マンガを読んでいるのに。楽しんでいるのに強制待機。途中まで読んでいた4巻を、ヤツが読み終えるまで待っていなければいけない。この時間がイヤでねえ。何で待ってなきゃいけねえんだ。チックショオオオオ!

ここから先は抜かせんぞ

で、こういう不快な経験が続くと、さすがに気付くんですよ。

読むのが遅いと追いつかれる → 追いつかれるとつまらない → つまらない思いをしないためには? → 読むのが早ければいいんだ!

後ろから来るヤツより読むスピードが早ければ抜かれない。いや、同じでもいい。同じ速度なら差がつまらない。これでいい。十分。追いつかれるというストレスを受け続けることで、追いつかれなくなるようにしようと気付くわけですよ。

行き着くスキルは速読

そうなると自然に速読が身につくようになっていくもんです。さして理論もなく、速読術としての知識もなくても、体で覚えるもんです。また、これがマンガで身につくと、活字の本でも応用がききます。マンガは絵と文字で構成されている。そのふたつの要素をスピーディーに読み取れるわけですから、文字オンリーならもっとラク。当然に普通の本を読むスピードも速くなる。速読術のハウツー本いらず。自然に、勝手に身につくもんです。
つまり速読ができるかどうかは、マンガや本を読む環境によるところが大きい。速く読まねばならん環境であったかどうかが大きいと感じているのですよ。そしてその「速く読まねばならん環境」とは、後ろから読み迫ってくるヤツがいる環境であるかどうかじゃないかと、個人的観測に基づいてそう思っているわけです。
逆に言うと、速読が苦手な人にはこんな特徴があるように見受けられます。

ゆっくり読んでも怒られない

ある意味、当たり前のことですが、速く読む必要がなければ、速読する必要もないのです。ゆっくり読んでいいのなら、ゆっくり読んでもいいわけです。
速読が苦手な方は、急いで読まねばならないという経験がありません。「急いで読めよ」「4巻まだ?」「もう5分も待ってるんだけど」みたいな罵倒を受けたことがありません。読むスピードに対してプレッシャーをかけられたことがないのです。

ひとりっ子

そのため、ひとりっ子には速読が苦手なタイプが多いように見受けられます。買ってもらったマンガや本は自分のもの。親・兄弟に読まれる心配がなければ、一言一句、ひとコマひとコマを熟読してもなんの問題もない。じっくり読むタイプに育ちます。「ザラっと読んで、ザラっとつかむ」なんてことはしなくてもいいのです。

自分ひとりの部屋がある

自分だけのスペースがあるというのも強い要素。大家族で大部屋にギッシリとか、兄弟の誰かと同じ部屋みたいなケースだと、自分がマンガを読んでいるのを見て、誰かがそれを読みたくなり、そして追いつかれて「ぱどー!」というケースがあります。自分ひとりの環境であればそれを防げます。
また、あなたの部屋にマンガがあるのであれば、自分以外の人間には「マンガをとりに行く」という面倒くさいステップが発生するので、その点も有利。

育ちがいい

これは育ちの悪い人間としてのひがみです(笑)。なんかね、速読が苦手な人っておっとりしてるのですよ。がっついてないのですよ。オレみたいな育ちの悪い人間は、もっと殺伐としてるのですよ。マンガの奪い合いなのですよ。
「テメー、先に5巻よこせ!」「6巻先読んでてよ」「うっせ。飛ばすとストーリーがわからなくなんだよ」「ちょ、ちょっとなにすんだよ」「ビリビリビリ!」「…………」
こんな戦争状態が育ちの悪い人間の家にはあります。大岡越前では「どっちが本当の子か、腕を引っ張ってみよ」って言われても「いえいえ、我が子にそんなことは……」と自重するわけですが、育ちの悪い家で「どっちが先に読むべきか、マンガを引っ張ってみよ」であればためらわずに引っ張り合いであります。マンガ真っ二つであります。大岡裁きが通用する世界ではござらん。
なので、こういう戦争状態がない方は、おしなべて育ちがよろしい。品がいい。脂ぎってないし、必死じゃない。下品な人間として、とてもうらやましい素養であります。

速読と早メシって似てるよね

ま、こういうことを全般的に考えていくと、ある意味、速読って食べる速さに似てると思いますな。早メシ。早メシも速読と一緒の部分があり、「メシを早く食べないと死んじゃう」環境にあったかどうかが大きいような。大家族で育ったヤツとか、上にメシをよく食うアニキがいるヤツは大抵早メシ。オカズの奪い合い戦争に勝ち残ってきた勇者。腹一杯にするためにはスピードという価値観で育つと、自然と早メシになる。速読と似た後天的スキル。
なわけで、速読を身につけたい人は、ハウツーも大事だけど、「急いで読まないと死んじゃう」みたいな価値観に身を置くといいと思うよ。テクニックよりも意識付けの方が大切。「この新書を2時間で読む」とか。そういう意識付けをすると、そのうち速読できるようになると思う。ただ読んでいると、じっくり読んでもいい環境で育つ人間は、ゆっくり読んでしまいがち。そこに急いで読まないといけないという意識を置くことで、速く読めるようになると思う。
どうも速読ってテクニック偏重な気がするんだけど、ああいうテクニックって汎用性がないんだよな。読み方は人それぞれだから。それにテクニックを意識すると、そのテクニックに合う形で目の前にある本を解釈しちゃう。テクニック至上主義になっちゃう。本当は目の前にある本を素早く理解するための方法論なんだけど、素早く理解できるように本を解釈しちゃうんだよ。矮小化するだけだよな。
もっとも、「そもそも速読する意味があるのか?」って疑問はあるんだけど。仕事で使うならともかく、趣味の読書であれば楽しむことが第一なわけで、スピードの尺度を持ち込んでもしょうがないんだけどな。ま、仕事で役立てたい人は「速く読まなきゃ死んじゃう」ルールを自分の身に課して、自分の読むスピードに対してストレスをかけてください。かけたストレスの分だけ速くなるよ。そのうち。
以上、タケルンバの勝手な思い込みによる速読論でした。