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映画「ダークナイト」評 - 本当の大人のための娯楽作品

今日は久々に映画を見に行ってきた。「ダークナイト」。

なにはともあれ、まずは「MAIN SITE」を押し、予告編を見ていただきたい。オレはこの予告編で、見に行こうと思った。見る前の期待を盛り上げ、見に行こうという気を起こさせる。予告編の意義を存分に感じさせるものになっている。重厚な音楽。疾走感。そして目を引きつけるメイク姿の人物。ジョーカー! 高笑い。気になる。気にならざるをえない。
で、映画だ。上映時間152分。2時間半。長い。この手の映画としては長い。
そして重い。軽いシーンがない。ひと息つけるところがない。おしっこタイムがない。
2時間半という長い時間すべてを重苦しい時間が包む。息を入れるところがなく、表情を緩ませる時間もなく、物語は次から次へと展開する。引き込まれる。目をそらせることができない。いや、そらしたいシーンはある。けれども、そうしたシーンすべてが「ダークナイト」の重要なピース。見逃すわけにはいかない。
そう。この映画は2時間半という長い映画ながら、ムダなシーンがない。編集で切って切って、ぜい肉を極限までそぎ落とした結果の2時間半。長いがムダがない。もう切ることができない。だから目をそらせない。見るものを引き込む。あらゆる展開が「ダークナイト」の世界では自然に流れる。
見終わってみれば、すべてが計算された必然に見える。過激な爆発シーンも、すべては必然。過剰ではない。爆発。殴り合い。スタント。音楽。CG。そして配役。あらゆることが自然であり、必然である。「ダークナイト」の世界を形作る必要不可欠なパーツ。そしてすべてが出しゃばらない。出すぎていないのだ。それぞれがその持ち場の中で絶妙の効果を発揮している。
もちろん、敵役のジョーカーがこれ以上なく目立っていることは確かなのだが、それさえも、他の要素を際立たせるためのひとピース。物事の陰影を強調するには、影を深くすればいい。そのためにはジョーカーという存在が目立ってなくてはならない。影があるから光が目立つ。
ジョーカーがする悪魔的な行為、残虐な行為、野蛮な行為があるから正義が際立つ。ジョーカーにとってはバットマンはいてもらわないと困る存在である。しかし一方でバットマンは正義なのか。ジョーカーがいなかったら? そういう光と影の関係を考えると、「正義とは何か」という普遍的なテーマの重みも違ってくる。
バットマンはなんのためにいるのか。そして何故、この映画のタイトルには「バットマン」という言葉が抜け、単なる「ダークナイト」となっているのか。すべて見終わる頃に答えは出る。……いや、本当は出ないかも知れない。ある意味、一生考え続けることだから。
アメコミと思ってナメてはいけない。大人のための娯楽作品。笑い、喜ぶだけが娯楽じゃない。奥歯で噛みしめる重いひとときも娯楽。ホロ苦さをうまいと思える大人のための映画だ。