(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

変態性と遠心力

変態ですが、なにか?

「変態」であることを喜ぶ人が結構います。「自分は変態だ!」と誇らしげに主張したり、「変態!変態!変態!!!」と言われてにっこりとします。

変態願望:Geekなぺーじ

ああ、自分はかなりそうですねえ。変態ですし、変人でもありますし、もちろんオタです。自分の趣味とか好みの領域に対してのこだわりって、どうしても突き詰めちゃうのでねえ。食で言えば「さぬきうどん○○」でしょうし、女性の好みで言えば「ポッチャリ○○」だし。この「○○」を変態としようがオタとしようが、あるいはgeekでもnerdでも、あるいはweirdでもおk。ある意味で尊称とすら思いますですよ。
ただ、感覚的にズレはあるでしょうな。

ただし、この「好まれる変態」というのは非常に微妙なバランスの上に成り立っています。

変態願望:Geekなぺーじ

この「好まれるか否か」という点に関しては、個人的には「遠心力」が重要だと思ってるのです。それぞれが持つこだわりのパワーが外に向くのか否か。内から外へあふれ出し、マニアックな世界が一般的な世界に露出するか否か。その点で大きな差ができる。
結局のところ日頃「変態」と呼べるか否かの関係は、その変態性を人に「言う・言わない」、あるいはその前提の「言える・言えない」まで含めて、外界への対応で決まる気がするのですな。その比喩として「遠心力」という考え方がいいのかなあと。グルグルグルグル内部でマニアックなパワーが高速回転すると外に出てくる。そしてそういう外に出てきたものを見て「変態」と呼ぶ。
逆に言うと、「変態」と呼びにくい相手というのはこもるのです。遠心力がなく、こもる。外へのパワーがない。で、実はそのこもり方こそ本来は「変態」であることが多いわけですが、なにせ「変態」と言いづらい。閉じこもってしまう。意見を受け付けない。それは正しく「変態」なのだけれど、「変態」と呼べる雰囲気ではないと。そんな気がするのです。

今度、個性的な人を「変態」呼ばわりしてみて下さい。きっと喜んでくれます。

変態願望:Geekなぺーじ

そんなわけで、「変態」呼ばわりするのなら、こういう視点で遠心力の有無を確認するのがよろしいかと。遠心力のない人に「変態」呼ばわりは禁物。さらに閉じこもることでしょうから。……ま、それが変態性を上げる行為なんですけどね。