(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

自分でわかるのは「好き嫌い」

ブロガーに限らず、向いているかどうかは他人が決めるものなので、ハタから見てサマになってたら、それでいいんだと思いますよ。

でもあるときから、(自分でどう感じていようと、ハタからみてサマになっていれば、それは向いてるってことなんじゃないかしらん?)と思い始めました。

私、ブログ向いてないのかな・・・ - べにぢょのらぶこーる

個人的な信条として、「向き不向きは他人が決めるもの」と思ってます。

実は、向き不向きは他人が決めることなんですよ。自分が決めることじゃない。自分で決められるのは好き嫌いであって、どうもこれを向き不向きと勘違いしとるのよね。おめーがやりたくねえだけじゃねえの?

向き不向きは他人が決めるもの - (旧姓)タケルンバ卿日記

どうも「向き不向き」と「好き嫌い」は混同されやすいのですが、自分でわかることなんて、実は「好き嫌い」までなんですよ。向いているかどうかなんて、本質的にわかりゃしないし、決められるものでもない。自分の評価を決めるのは他人。それを好き嫌いという自分の感情を載せて判断することが多いのでありますよ。そうすると受け入れやすいので。「やりたくない=向いてない」とする方が、精神的に抵抗感がないので。
だからこそ、向き不向きを本人の好き嫌いと切り分けて評価する周りの存在って大事だし、それをやんわりと本人に理解させてくれる隣人が必要だったり。向いていることを気付かせ、向いていないという勘違いと、勘違いをきっかけに生まれた嫌悪感を解きほぐす。そういうきっかけをつくってくれる隣人がありがたい。

”向いてる・向いてない”という思いは案外、誰かの一言で180度方向転換できるんじゃないかしらん?

私、ブログ向いてないのかな・・・ - べにぢょのらぶこーる

方向転換させてくれる人が周りにいるって、本当に素晴らしいこと。自分だけじゃ気付かないし、気付きにくい。そして言われたとしても、自分のかたくなな感情や思い込みが邪魔をして、せっかくのアドバイスに反発することがある。プライドが障害になる。素直に助言を受け入れ、方向転換することも難しいし、それをできるのも器量。
人のアドバイスに耳を傾ける。そういう素直さって大事だよね。オレも欲しい。天邪鬼なのでねえ。言われたことの逆に行っちゃうので。ああ、こういう精神、なんとかしたい。素直になりたいタケルンバでありました。