(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

全力で叱るのもお仕事

人を叱るってのは上司、先輩、監督者としては永遠の課題ですな。答えが出ない。

ただ、こういう相手のあることは、自分の感情をベースにやってはいけないと思うのですよ。「叱る」という自分の行為が、相手にどういう影響を及ぼすか。こういう思考がないとね。相手がある以上、ひとりよがりにやっちゃダメ。何らかの意図、意思、期待、予測、イメージ。こうしたものがあっての「叱る」であるべきだと個人的には思うわけですよ。手段であって、目的になってはいけない。
あと「叱る」との関連で気をつけたいのはオーバーコーチングね。教えすぎ。あれもかれも教える。全て教える。こういうスタイルは好みじゃないんです。オレはなるべくサボりたい人なので、会社なんかだと「上役としての自分が全く絡まなくても仕事が進む」システムを作りたいんですよ。オレが関与しなくても、放っておいても大丈夫な環境。それを目指す場合、教えすぎると、何でもかんでも自分が答えを出さなければならんシステムになっちまう。これは非常に困る。オレがゲーセンでサボっている間も、遅滞なく仕事が進むのがいいのであって、トイレでふんばるタイムの時にも「これ、どうすればいいっすか?」などと部下の電話やメールが来る環境はひどく困る。具体的な部分まで叱って教えこむいうのは、あんまりオレの考えには馴染まんのです。
個人的には部下にはなるべく権限を与えたいし、与えた権限に関しては任せきりたい。同時に権限を与えた以上は全責任を負いたい。任せたのがオレなので、任せたヤツがミスったのならば、任せたオレが悪い。そやつの能力不足なら、能力不足を見抜けなかったオレの目が残念ということ。作業手順が間違っていたなら、オレの指示が悪い。オレの能力不足ということなんですよ。
だから、会社なんかで部下を叱るという場面を考えるとき、オレが叱る場面というのはかなり限定されてます。

手抜きが原因のミスをしたとき

基本的に手抜きをしただけでは叱りません。手抜きをしようがなんだろうが、こっちが指示した結果を出せばいいし、終わり良ければすべて良し。その辺の帳尻調整まで含めて任せてあるので。ペース配分は自由。好きにすればいい。サボりたいのなら、サボればいい。
ただし、手抜きをしてミスをしたときは全力でカミナリを落とします。例えば両手で持てば安全に運べるものを、片手でやろうとして落とす。こういう過信して失敗したケースは誰かが叱るべきだと思ってますので、オレが叱る。もう二度と手抜きしようなんて思わない。手抜きしてミスしたら割に合わない。こう思われるように全力でぶちきれるようにしてますよ。ミスするリスクを負ってもラクできるという手抜きのメリットより、万が一ミスったらメッチャ叱られるというデメリットの方が大きいと意識させねばなりませんので。
例外は、もう既に誰かがきちんと叱ってくれたときですかね。そういうときはフォローする。要するに誰かが叱らなければならないだけで、全員でフルボッコする必要はない。誰も叱らないならオレが叱るし、叱るヤツがいたなら、オレは叱らない。バランスですな。叱るヤツはひとりいればいいんです。そのひとりになることを、オレは躊躇しないでやるよってだけ。

権限をいちいち確認するとき

オレは最初に「ここからここまではオマエに任せる。好きなようにやれや」と決めるし、言うのですよ。人に任せる時は。任せる範囲と領分、あるいは、どういうケースがその領分を越えるとか。
で、こういうタイプの上司ってのは世間的には少ないらしくて、いちいち確認するヤツがおるのですよ。「これは自分が判断していいですか?」みたいな。古式ゆかしい「ホウレンソウ」を守ろうとするヤツがおるのです。
ところがオレはその報告・連絡・相談を最低限にしたいし、極端な話、それをカットしたいからそいつに任せる。報告もいらない。連絡もいらない。困ったときは相談するべきだろうけど、相談するべきかどうかも自分で考えなさいと。そういう判断能力を求めているし、そういう判断能力を身につけて欲しいから任せる。
なので、いちいち確認されるのは面倒なのです。聞かれても「任せたんだから、好きなようにやりなさい」としか言えんのです。任せるってそういうことだからね。そいつが好きなようにやっても大丈夫という判断をしたから任せるわけだし、失敗してもなんとかなるという目論見もあるわけだし、ある意味、失敗した方がいいと思っているケースすらありますから。多少の怪我ならオッケー。致命傷を負わなければ良し。
それをオレが保護者の如く、あれはどうとか、これはどうとかってアホかと。最初のうちは権限を与えられた不安感もあるから、まあ仕方のないことだと思うわけですが、繰り返し聞いてくると、こうなる。
「そんなことは自分で判断しろやあああああっっっっ!」
これも試練だ。自信をつけてくれい。

権限を踏み越えてくるとき

自信がないヤツはいちいち権限を確認してくるのですが、じゃ自信があればいいかというと、勘違いして権限を踏み越えてくるヤツがおります。実はこっちの方が困ったちゃんであります。というのも、これをやられると、上司であるオレの存在意義がなくなるからであります。
いや、成功するならいいんです。オレより能力があるならいいんです。わたしゃ地位に汲々とするタイプじゃねえですし、そういうタイプじゃないから独立してひとり親方になっとるわけです。オレより優秀なヤツはどんどん上に行けばいいし、さっさと出世して、むしろオレの食い扶持を稼いでくれよとすら思うタイプですし、会社勤めのときはそう思ってました。問題はダメなヤツで、尚且つ権限を踏み越えてくるヤツなんですよ。
結局上司の存在意義って、責任をとることなんです。ケツを拭くことなんです。対外的にミスったら、外に対して謝るのは、ミスったヤツより上役でなければならんのです。上だから意味がある。同じレベル、あるいは下じゃダメなのですよ。
だからこそそういうのを勘案して、ここまでなら何とかなるから任してもよし。ミスしても良し。そういう判断をして権限を委譲できる。結果をコントロールできるからこそ、その範囲内に関しては鷹揚とできる。できればオッケー、できなくても経験値アップ。どうにもならなきゃオレが出て行けばなんとかなるやろ。こういう発想ができるわけですな。
ところが、これを飛び越えられてしまうと、結果がコントロール外になることがある。これが困るわけですな。失敗してもケガする範囲内でやらせているのに、それを失敗したら即死圏内でやろうとする。こんなことがあっちゃ困るのですよ。特に組織機構では。上下の権限区分があってこその上司・部下の関係なんでね。エラい・エラくないではなくて、どういう職務権限かというところが大きな差であるわけで。
なので、こういうパターンもガツーンとカミナリを落としてやります。権限を越えてきたことが判明した瞬間に。結果を待たずに即座に。二度とそういうことを思わなくなるであろうほどにガツンと。「何てことをしでかしたんだ」とマジへこみさせます。明確にへこませます。二度とやってもらっては困りますからね。二度同じことをやったら、さすがに人事権限がある立場としては、左遷・降格かクビにするしかないので。そこまでのことはしたくありませんのでね。早めに厳しく対応することで、リアルで厳しい対応を食らう場面だけは回避させたいのですよ。
「叱る」ってのは叱られる人のためにすることで、自分のためにすることではないわけですし、何らかの役に立てば自分なんてどうでもいいわけですからね。もちろん、最終的にはそれが自分のためだし、ビジネスと割り切っているわけですが。こういう役割含めてのお給料でございますからね。人を叱れないヤツは上役失格だし、叱りすぎて効果が出せないヤツもまたダメであろうし。そういう中での自分の方法論でありまして。難しい話ですけどね。
ま、とりあえず怒りっぽいのとは厳密に分けたい気がしますがね。「それ、短気なだけやん!」という方も見受けられますが。そういうタイプにはなりたくないなあと思うわけであります。はい。
以上、珍しく堅いお話でありました。