(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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食事をうまくする人たち

以前こういう記事を書きました。

そこで今回はその逆版。うまくする人について書いていきます。

うまそうに食べる

やっぱりね、気分とか表情はうつるんですよ。プラスにしてもマイナスにしても、周りに影響を与える。にこやかな表情、楽しそうな感じ、幸福感。こういうのって周りにうつるんですね。周りを巻き込む。
「うまそう」ってのも同様なんですよ。マズそうに食べれば、何となく表情でマズそうな感じが伝わるものですが、逆にうまそうに食べれば、うまそうな感じが伝わるものなのですよ。自分の味覚にプラスされるのですよ。ボーナスポイントが入るのですよ。人のうまそうな感じが自分のうれしさとなり、自分の味が上がる。まして連れて行った店が自分の紹介だと尚更です。

  • 味が認められた=自分が認められた

みたいな錯覚もできますので。幹事としてはうれしいものですね。
で、別になにもマズいものとか、ふつーに感じたものをうまそうにすることはないんです。そういうムリをすることはない。「うまい」と思ったら、それを声にするだけでいい。表情に出すだけでいい。「これうまいね」「そうだね」の会話があればいい。うまいという表情の交換ができればいい。それでその場の幸福度は上がるんです。食事としての価値が上がるんです。気分ってそういうものですよね。

素早く食べる

基本的に料理ってのは出来立てが一番うまいのです。テーブルに運ばれた瞬間が一番うまい。冷たいものは冷たく、温かいものは温かく。そうした処理が最も行き届いているのが完成直後の瞬間なわけですよ。であればそこをサッと食べるのが一番うまい。うまいものをうまいときに食べる。これに越したことはない。
ま、それぞれ猫舌とかの問題もあって、アツアツのものを食べるのは難しかったりするわけですけども、そういう問題がない限りはサッと食べた方がいいような。自分は外食畑にいましたし、自分で料理をつくるので、出された料理が手もつけられず放置されるのは、どうも気になってしまってね。作る人のことを考えてしまう。放置するにしても、一口食べてからにしていただくと助かる。その食べものが一番うまい瞬間を味わってからでお願いしたい。

楽しい話題

「うまい」というのはプラスの感情なので、プラスの雰囲気に包まれることで出やすいのです。なので、会話の方向も、そういう感じがいい。明るい話をすれば味が明るくなる。楽しい話をすれば食べてて楽しい。そういうようにしたいのです。暗い話、つまんない話、湿っぽい話、陰気な話はなるべく避けたい。
会話は食事の席では調味料でしてな。楽しいヤツがいると、食事の味が格段に違う。笑って食べると本当にうまい。しんみり食べると本当にマズい。同じものを食べても全然違います。同じものを食べるなら、オレはうまく食べたいので、明るい話題をするヤツと食べたいな。楽しく食べるには、楽しいヤツと食べるに限りますよ。
また自分もうまくする調味料になるべく、楽しい雰囲気をつくりたい。楽しく食べましょうよ。うまいもの食べるときくらいは。

うまいものはみんなで

ひとりで食べるときは、自分がうまいと思うものを自分だけで食べればいいわけです。それでいい。でも、人と食べる時は「みんなで」という発想が欲しいと思うわけです。如何にカルパッチョが好きでも、如何にカルパッチョがうまくても、みんなで食べた方がオレはうまいと思うのですよ。

気持ちはわかる。わかるけど、自分がそれほどうまいと思うなら、みんなにうまいと思ってもらった方がオレは幸せなんだな。

周りは幸せだと自分が幸せというのがありまして、ええ。人の喜び私の喜び。

自分のための気遣い - (旧姓)タケルンバ卿日記

こういうタイプなんで。自分がうまいと思うものを人に食べてもらい、その人にうまいと言ってもらう。オレはこういう方に幸せを感じる人間だからなあ。みんながうまいという表情をしてるのが幸せ。「これうまいじゃん!」と言ってくれれば、自分が作ったかのようにうれしい。
だからみんなで分けたい。うまいものは気前よく分かち合いたい。「うまい!」という気分を共有したいのです。それがオレの幸せなんだな。ま、このあたりの考え方は人それぞれだけど。カルパッチョを譲りたくない気持ちはわかる。けど、オレは譲り続けるってだけ。そういう人間だから仕方ないもんね。

これもうまい、あれもうまい

うまいものを食べているときに、他のうまいもの話をするのって楽しい。「これもいいね」「あれもいいね」みたいな。

なんというか、オレより上だって言いたいんですかねえ。張り合おうとするヤツがたまにおります。なにかうまいものが出ると、「ここよりうまいの知ってるぜ」と。

食事をマズくする人たち - (旧姓)タケルンバ卿日記

これは論外なんだけど、「あれも、これも」は楽しいんだよ。楽しいときに、他の楽しい話をするのも楽しい。うまいものを食べているときに、他のうまいものの話をするのはかなり楽しい。
そこから次の話が出てくることもあるし。そうなるとまたその次の楽しみができる。終わらないというのは楽しい。次があることで楽しさが持続する。今、食べているものが、さらにうまく感じますよ。期待で。楽しみが増えるっていいよねえ。

値段の話をしない

料理の値段の話が出てこないってのは気分がいいですね。価格より味の判断が全面に出る方が好きです。自分は外食畑にいたことがあるので、ついつい原価はどうなっているかとか、相場とか、回転を意識しますけど、口には出さない。それは仕事発想なので、「うまいものを食べる」という趣旨には合わないような気がしますな。
ただひたすら「うまい!」でいいと思うんです。複雑な背景は関係ないのです。また「うまい!」の理由もいらない。うまいときはうまいのです。それ以上でも以下でもない。ごくごく単純に食事を楽しめばいい。「うまい!」という感覚を楽しめばいい。食事なんて難しいことでもなんでもないわけですし、シンプルでいいんですよ。わしゃシンプルなヤツが大好きです。

感謝の気持ち

感謝する気持ちが伝わるヤツが好きです。気持ちいいです。気分がいいです。気分がいいので、味も良くなります。
外食店の店員さんとか、料理を作ってくれた人。お店を紹介した人や幹事。そして集まってくれたメンバー。こうした人たちに感謝する気持ちがあると、関わった人間すべてがいい気分になりますな。悪い気持ちがしません。店員ならば「次回も『うまい』言ってもらうぞ」。自分が料理を作る側だったら「また腕によりをかけて」。お店を紹介した立場であれば「他のいい店も教えたい」。幹事ならば「また仕切るか」。参加者は「また集まりたいな」。こういうプラスの気持ちが発生します。悪いことがありません。
また、こういう感じになると後味がいい。帰り道でも、まだ余韻が残るものです。うまかったなあ。また食べたいなあ。また集まりたいなあ。そうなったらしめたものなので、感謝の気持ちがあるヤツってのは、本当に得難いヤツなのですよ。いいヤツです。
逆に言うと、自分はそういう人間でありたいですね。感謝したい。感謝の気持ちを忘れないでいたい。皆さんにいいお店を教えてもらってますし、オフ会に呼んでもらってますけど、そういう好意に対する感謝は忘れないでいたいのですね。

「またやろうね」

何事もこれで終わりたい。次回があるように終わりたい。ネクストが欲しい。これっきりだと寂しい。
「またやろうね」は最大の後味だと思っております。最高のうまい後味。これが最後に残るから、その日、食べたものが最高にうまく感じる。「終わり良ければ全て良し」になる。
食事をうまくするには「またやろうね」の発想が大事だと思うのです。みんなでうまいもの食おうぜ!