(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

日記の有用性

なんというか、安全弁的なものは必要なんだよね。いざというときの逃げ道。

自分なんかでも、このブログに何でもかんでも書いているわけじゃない。もちろん書いていることはすべて本音だし、偽りのないタケルンバの感情であり思考であり思いなのだけれど、その中でも書くべきことはより分けているつもり。書きたいことを書いているだけなんだけど、その「書きたい」という思いの背景には「書きたくない」というのも当然ある。「書きたいことを書く」だけじゃなくて「書きたくないことは書かない」って歯止めがある。

今まで何度も書いて来たが、人には晴れの日もあれば、雨の日もある。光の面もあれば陰の面もある。それが当たり前だ。

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自分はあまり陰の面をブログで書きたくないんですね。ブログは残るから。で、残る以上、それは目にしやすいので、自分が見たくない。見たくないモノは書かない。それだけのことなんです。
ただ、オレも人間なんで、陰の面はねえのかって言うと、あるんですよ。あります。これはリアルにある。ないわけないですよ。これは隠し切れませんよ。否定できませんよ。陰の部分、闇の部分、暗い部分。それも含めて人間だし、ワタクシ、タケルンバです。「陰なんてないよ」ってヤツはいないと思いますよ。
じゃそれはどうしてるかというと、基本的にはブログ以外で発散してる。仕事だったり、遊んだり。あるいはブログ以外で書いたり。結局感情というのは、ある出来事によって入力されたものなので、出力しないといつまでも残ってしまう。だからそれを出力しないとスッキリしない。

だから、普通の人、むしろマジメな部類に入る人は「言いたくても言えない」ことがたまって来る。我慢強い人だと黙っていたりすることでも、あまり過ぎるとキレてしまう。まぁたまにキレるのは悪くない。それで精神のバランスが取れるし、周囲にそういった我慢を認識させることも出来る。しかし、本当にマジメな人だとキレることが出来ないで、ずっと我慢をしてしまう。立場的にキレることが出来ない人も同様だ。そうして精神を病んでしまう。

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こういう感じになる方も多いと思いますよ。マジメで、責任感があって、立場を意識し、能力もあり、我慢強いと自覚している人の方が病みやすいですね。能力以上のものを抱え込んでしまう。ある入れ物に水を入れる。それが満杯になるまでは抱え込んでいられるし、何も起きないけども、それが満水になった途端にあふれ出す。病んでしまう。マジメな人ってのはこの器がでかいだけで、満水になればやっぱり病んでしまうわけですよ。満水になるまでの時間がかかるってだけで、溜め込めばいつか溢れる。壊れてしまう。
だから定期的に出力することが大事で、感情のダムが満水になり、ダムが崩落しないように、定期的に放水する必要があるわけですけど、その感情の放水手段として、ネットを使うというのはアリだと思うわけです。
例えばTwitterWassr。例えばはてなの匿名ダイアリー。例えば2ちゃんねる。こういうところに書き込むことで、感情はだいぶラクになる。感情を出力することで、体内の感情は整理されるし、文として書くことで、思考も整理される。たとえ投稿ボタンを押して、発言を反映させなくても、途中で書くことを踏みとどまったとしても、その一連の行為の流れで落ち着くこともありますしね。
チラシの裏」の必要性は、まさしくそういうところだったり。誰に見せるわけでもない、自分に向けてのメッセージだとしても、それを書くことで自分が落ち着くのであれば、それは一定の意義がある。見せるための文章ではなく、自分を整理するための文章だってあっていいはず。「文章セラピー」ですよ。チラシの裏って。
ただ、最初に書いたように、ブログはそういう文章セラピーの場所には向いてない。残る。残ってしまう。だから自分はブログでは書かない。皆さんが読んでくれる場所で、暗い話を書こうと思わない。自分も読みたくない。
一方、発言が流れるTwitterならまだいいかな? とは思ってる。もちろんログは残るんだけど、ひとつひとつの発言の寿命というか、タイムラインが流れるスピードが速いので、目立たない。140字以内の呟きだし。まして必ずしも不特定多数に見られるわけでもない。フォロワーにしか見えないわけでね。「こっそり度」「チラ裏度」は上がる。アカウントの人格と、発言の内容は関連付けられてしまうけど、流れるという点において、ダメージは少ない気はする。
匿名ダイアリーはチラ裏として有効度は高い気はするね。長文を書いてもいいし。思考とか感情を整理するのにはうってつけなんじゃなかろうか。匿名だから気軽にできるし。「匿名で、ぶちまけたい」というときにもってこい。
でも、自分が本当にオススメするのは、実は日記ですね。紙の日記。これが一番いい。何をぶちまけてもリスクがない。見るのは自分だけ。

こういうのを買って、手書きでつけるのが最も安全で、尚且つ気持ちの整理がつく方法だと思います。ネットでやると反応があるし、それで癒されるケースもあるけれど、それでかえって傷つくケースもある。ログから本人が特定されることもある。紙の日記だって、こっそり誰かに見られるリスクはあるけれど、少なくてもその日記のありかに到達しない限り見られないわけで、ネットよりは安全度は高い。
また、こういう時代だから紙に書くっていいと思うんですよ。手書きってキーボードより遅い。時間がかかる。でも、時間がかかるからいい面もある。時間をかけて、書きながら気持ちを整理する。そういうのも大事なことだと思うんだな。瞬間的に沸き立ったものを、素早くぶちまけることもたまには必要だけれど、家で紙に向かって気持ちを整理する。1文字1文字書きながら気持ちを整理する。スピードで解決できない部分を紙に期待するってアリだと思うな。
また10年日記のいいところは、同じ日付で出来事がタテに並ぶところ。最初の1年目は日記をつけてもつまんないんだけど、2年目からは過去の同日と比べるおもしろみが出てくる。過去ログが生きてくるわけですよ。紙媒体でも。そしてその過去ログの安全性が高いと。悪くない方法だと思いますよ。
丁度今時期は手帳なんかとセットで本屋さんでフェアなんかもしております。来年の頭から日記でもつけて、気持ちの整理に役立ててみては? どこかに感情を吐き出さないと、ツライままですよ!