(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

「調べる」という食の楽しみ

食に対して新たな楽しみを見つけたってことなんじゃないかな。

消費は長年、それ自体が楽しい行為だったはず。思い切った買い物がストレス解消になった経験は、少なくとも30代以上の人消間であれば、誰しもあるだろう。しかし上記のような傾向がもし続いていくなら、消費は快楽ではなく、単に面倒くさいものになってしまうのではないか。

http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20100826/p1

「調べる」という楽しみ。
極端に言えば、食わずとも楽しめる。「お店に行く」「食べる」「お金を使う」という直接的な行動がなくても十分に楽しめると。それだけのものが「調べる」にできた。「調べる」行為によって得られるものが充実したことにより、新たな楽しみが想像されたんだろうな。
昔の今の決定的な差は、「調べたことで、何の結果も得られない店がほとんどない」ってことなんだろうと思う。最近できた店とか、地方とかの場合はさすがに検索しても出てこないこともあるが、こと東京圏に関してはほとんど見つかる。近所にある普通のお店でも見つかる。
それによって「とりあえず調べる」が可能になった。結果が得られるある程度の確信があるから、調べるようになった。何の結果も得られないのがわかっているなら、誰も調べないだろうしな。かつては「ほとんどない」から誰も調べなかった。また調べるツールもないし、あっても面倒だった。そしてネットによりツールを手に入れた。が、情報は不十分で、「ダメ元」「あったら儲け」レベル。個人のサイトに引っかかるかなあ程度の。
それが「ほぼ得られる」状態にやっとなって、何らかの情報を誰しもが得られる状態になった。環境面が整備されたことで、誰しもが「調べる」時代になり、調べたことで情報を得られるようになったから、その情報を得る行為そのものが目的になったり、娯楽になったりもする。そういう変化なんだろうなあと思ったわけなんですよ。
ある意味で旅行化しているというのかな。食がレジャーになっているというのかな。写真とか映像を見て、その場所に行ったような感覚が食に置き換わっていると。直接食べなくても楽しい。
「間接的娯楽」とも言えるでしょうな。脳内体験で満足できる。そういうところに食が来ていると。
だとすると「売りは地の利だけ」みたいなタイプの店は、いずれ消え行くのかもな。地の利だけだと間接的娯楽の対象にならんし、もちろん直接的娯楽にもならん。
近所にあるような飲食店は、地の利を売りにしていることが多いわけなんだけども、それ以外の何かがないときついんだろうなあ。品揃えが普通で特色がなく、出前とかの利便性があるからなんとかやっていける系の店は。
ま、長年続いているようなお店だと、「続いている」ということが特色になって売りになることもあるか。ラーメンとかでもさ、流行りがあることで、何の変哲のない醤油ラーメンがいいみたいなものってあるじゃん。魚粉とかの「うまみをかためました!」攻撃に飽きて、普通のラーメン再評価みたいな揺り戻し。オムライスでも卵とろとろじゃなくて、薄焼き卵的なヤツでまとめて、ケチャップぶちゅうな「ザ・オムライス」がいいとか。もちろん、ラーメンにしろオムライスにしろ、うまいことが前提なんだけど。レトロでもまずけりゃ話にならん。
あとはファミレスはきついだろなー。長年同じ場所で営業していても、中身が変わり続けているから、レトロ的な再評価もない。間接的な娯楽感にも限界があるだろうしなあ。チェーン展開しとるわけだから、どこの店に行っても内容は一緒だし、ひとつひとつの店は同じ場所で営業し続けているわけだし。
ファミレスは変わり続けることで、歴史ポイントの上積みがない。その点、個人店の方が今後は有利なのかな。
とまあそんなことを考えたのでした。まる。