(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

損したくない病

この記事書いていて、ふと思ったこと。

「ロース頼んだから、ロースじゃなきゃ嫌!」って、真っ当ではあるんだけど、必死やなと。
個人的には「うまけりゃいいじゃん」派なので、細かく正解を求める感覚にはついていけない。回転すしの世界におけるあれこれなんかも完全おkであり、「スズキ」なのに「ナイルパーチ」でもかまわんし、「エンガワ」が何の魚のエンガワかわからなくてもいいし、赤マンボウとかが全体的にワオ!
なんだが、いちいちそういうところに厳密性を求める傾向が最近は強いね。

損したくない病

こういうところなのかな。ケチくさい。とにかく自分は損をしたくない。ロースを注文した以上はロースでなくちゃダメ。味とか本質的な意味合いはどうでもよくて、ロースである以上はロースを。お金を出すんだから、きちんとしなさいよ。そっちの都合なんて関係ないわよ。私はロースなのよ、ロースを頼んだんだから、ロース出しなさいよ。
損したくないから、事前に情報を全部出すことを求める。情報を出すコスト度外視。私は知りたい、全部知りたい。些細な損をしたくない。あなたがもっている専門知識を出しなさいよ。すべて教えてから判断させなさいよ、わ・た・し・に。
しかしこういうのって寛容性の欠如だし、専門家に対する尊敬の無さとか、うわべだけのブランド信仰につながると思うんだよな。
「ロース」の話でいえば、「本当の『ロース』だと高いから、それと同じくらいうまい部位を安い値段で」というプロの矜持があったりするんだけど、「でも『ロース』じゃないんでしょ」「じゃダメじゃない」で終わらせると、実はみんなが不幸になる。専門家の技量より、ブランドなのかいと。
もっと専門家を信用してもいいと思うし、細かい損を受け入れる度量があってもいいと思うし、ちょっとした情報を聞きかじるだけで、自分がプロのように判断できると思ったら大間違いであるということを知ることが大事だと思うんだけどな。

消費者意識=被害者意識

こういう感覚、とても嫌だ。