(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

日本の「保守」っていいかげん

日本でいうところの「保守」って、ものすごくいいかげんだからなあ。

「保守がダメ」というより、「日本で保守とされているものがダメ」というか。
日本の場合、政治姿勢とか政治思想の分類がインチキ。
例えば右とか左とかって話もそうだし、タカ派ハト派なんかもそうだけど、自嘲とか揶揄とかでなんとなくできたイメージに乗っかっちゃっているだけというか、都合がいいというか。
改憲・護憲という区分に合わせ技しているのもおかしな話で。保守が右でタカ派改憲で、革新が左でハト派で護憲。……ううむ、なんかおかしい。
そもそも「保守と改憲」「革新と護憲」って言葉セットの時点で矛盾がありあり。つか、おかしいだろ。
あと改憲タカ派っていうのも妙。より平和にするためのハト派改憲って発想はないんだろうか。自衛隊が嫌いなら、憲法第9条を変えさせないのではなくて、あらゆる軍備保有を禁じるように明確に改憲するとか。
このあたり「文系」「理系」の区分のいい加減さと似ていたり。あらゆる学問には「文」も「理」も必要だと思うのだけれど。どうも「情緒的」と「論理的」に都合よく置換されているだけな気がする。せいぜい区分としては「社会科学」と「自然科学」あたりが妥当じゃないかなあ。学問って科学だろ。
明確に言葉が定義されることなく、都合の良い逃げ道としてしか機能していない印象。本来の保守は改革を否定しないし、平和主義的な保守だってありうるし、護憲であってもおかしくない。
日本の変な保守って、保守・革新の文脈じゃなくて、排他主義・国際主義みたいな区分で語られるべきなんだろうなと。保守でも右でも護憲とは関係なしのナショナリスト国粋主義。逆にコスモポリタン、世界主義を置くとわかりやすい。
石原慎太郎をイメージするともっとわかりやすいですね。おしまい。