(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

山本太郎氏が善戦と言えるのか - 衆院選東京8区のデータから

どうもこんにちは。せっかくの総選挙というご馳走がありながら、終日仕事に終われ、滿足に開票すら楽しめなかったタケルンバです。
いろいろとデータが出てきたので、数字を見てはニヤニヤしている単なるキモい人ぶりを発揮していたわけですが、ちょっと疑問に思える話を見たので、それについて書いてみたいと思います。
それはこれ。

「正直、驚きました」とは、政治コメンテーターの田崎史郎氏(時事通信社解説委員)。「脱原発」タレントの山本太郎(38)が衆院選で7万票を集め、専門家をビックリさせた。
自民党石原伸晃前幹事長の地元、東京8区で出馬。伸晃には及ばず次点で落選となったが、武蔵村山市の人口を超える有権者から支持されたとなれば、大善戦だろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121220-00000006-nkgendai-ent

本当に善戦なのかね。
直感的に「得票の絶対数で『善戦』というのはおかしくないか?」と思ったのであります。7万票という数字は確かに凄い。とはいえ、それをもって「善戦」と言ってしまうのはどうなのよと。ちょっと単純すぎないかと。
で、調べてみた次第。

基礎的な話 - デュヴェルジェの法則

話をはじめる前に、いきなり脇道にそれてみたいと思います。ちょっと政治学的な用語の話。

こういう法則があるんです。デュヴェルジェの法則。政党の数は、選挙区ひとつあたりの当選者プラス1の数に収斂されていくだろうという法則。転じて、ひとつの選挙区あたりの候補者数も、当選者の数プラス1になっていくだろうと。
小選挙区制ならひとりしか当選しないので、政党の数や候補者の数は2に近づいていくであろうと。

東京8区と旧東京4区の候補者数

でもって山本太郎氏が出た東京8区、現在は杉並区単独で選挙区を構成しておりますが、渋谷区・中野区と構成していた中選挙区時代の東京4区時代からの候補者数を見ていくと、このような変遷をたどっております。

表1 - 衆院選における東京8区・旧東京4区の立候補者数
実施年 選挙区 候補者数
2012年 東京8区 4
2009年 東京8区 4
2005年 東京8区 3
2003年 東京8区 4
2000年 東京8区 4
1996年 東京8区 5
1993年 東京4区 12
1990年 東京4区 17
1986年 東京4区 9
1983年 東京4区 10
1980年 東京4区 9
1979年 東京4区 8

小選挙区制・中選挙区制それぞれ過去6回分の数字となっておりますが、1993年と1996年の間に越えられない壁がそびえ立っているのがおわかりいただけると思います。旧東京4区議席数5。5位でいいならもしかして……という気持ちにさせるわけですね。余談。麻原彰晃東京4区で出馬している。余談終了。
で、中選挙区制の場合、候補者が多いわけですから、いろんな政党の人が出ますし、同じ政党から複数の候補者が出る場合があります。
例えば1990年の衆院選の場合、1位・3位当選が自民党の候補で、2位が当時無所属で出馬した石原伸晃氏(後に自民党に入党)。まあこれがために党内党ができる、つまり派閥が出来るわけですが、なにはともあれ選択肢は多かったと。それは一目瞭然におわかりいただけるかと思います。

東京8区の候補者の変遷

1996年から小選挙区制になり、ごくごく単純に言って、立候補者数は半減しました。半減した分、有権者の選択肢は減ります。当たり前ですね。

表2 - 東京8区立候補者の所属政党
実施年 自民党 民主党 共産党 社民党 その他
2012年 石原伸晃 円より子 上保匡勇 なし 山本太郎
2009年 石原伸晃 なし 沢田俊史 保坂展人 植田誠一
2005年 石原伸晃 鈴木盛夫 沢田俊史 なし なし
2003年 石原伸晃 鈴木盛夫 沢田俊史 杉山章子 なし
2000年 石原伸晃 片山光代 山崎和子 なし なし

現在の自民・民主という政党対決が主軸になった2000年以降の総選挙で見ると、東京8区では自民・民主・共産・社民の4政党プラスアルファしか出馬しておりません。1996年にしても自民・民主・共産・無所属に新進を加えた5候補。
こうなりますと「支持している政党の候補者がいない」という事態が出てくるのですね。行き場のない投票が生まれてしまう。
現に今回で言えば、東京8区からは維新の会やみんなの党未来の党も候補者を出していません。第三極が全滅。こういった第三極を支持している人は、比例区はともかく小選挙区でどうすればいいんでしょう。

小選挙区比例区の比較

そこで小選挙区比例区の得票状況を比較してみます。果たして両者にどういう差があるか。

表3 - 東京8区政党別小選挙区得票率
実施年 自民党 民主党 共産党 社民党 その他
2012年 46.93 19.43 8.49 なし 25.15
2009年 49.95 なし 8.45 39.52 2.08
2005年 57.26 33.26 9.48 なし なし
2003年 54.98 31.43 7.08 6.51 なし

東京都選挙管理委員会サイトのデータよりタケルンバ作成)

表4 - 東京8区政党別比例区得票率
実施年 自・公 民主党 共産党 社民党 その他
2012年 30.82 16.65 7.64 2.79 42.10
2009年 33.60 42.08 9.15 6.19 8.98
2005年 49.68 31.89 8.40 5.59 4.44
2003年 42.62 43.10 8.34 5.94 0.00

東京都選挙管理委員会サイトのデータよりタケルンバ作成)
(注意)自民党公明党選挙協力のため合算。2009年の民主党社民党選挙協力のため候補者なし。
この両者を比較すると、いくつかの点が見えてきます。

自民党小選挙区ほど比例区の票をとれない

自民党に強烈な追い風が吹いた小泉首相当時の郵政選挙(2005年)時ですら8%ほど取り逃がしています。
今回にいたっては16%あまりの票が比例区では他の政党に逃げているわけで、東京8区においての政党人気は頭打ちであると考えられます。

自民党以外の妙な安定感

一方、民主・共産・社民ですが、基本的に小選挙区比例区の間に目立った違いはありません。
特に共産党の数字のぶれなさ。ああ、これが組織票と唸ってしまうばかり。
しかし違いがないということは、こちらも上積みが特にないというわけで、自民党と同じく頭打ちであると言えそう。

その他の異常な増加

何より目立つのは、今回のその他票。比例区では42%もの票がその他に流れています。比例区では投票先はあった。だからこそのその他42%。既成政党以外に投票したいと思う人間は少なからずいたということです。
そして山本太郎氏は小選挙区では25%の得票。しかしそれにしても17%を取り逃がしている。
選挙区で2位。7万票。
こうした数字を見れば健闘ですし凄いことですが、石原伸晃強しといえども頭打ちの現象が見られること、第三極の候補者がいなかったこと、知名度のある候補が不在だったことを考慮に入れると、山本太郎氏はもうちょっと獲ってもおかしくなかったのではないか? とすらも言え、今回の結果で参院選に名乗りを上げたというより、最大のチャンスを逃したというのが私の見解です。
まあでも次のチャンスもないでしょうね。

「このままでは極右化が進んでしまう。日本から脱出した方がいい」

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20121216-OHT1T00231.htm

かねて行っていた市民活動での疲れがピークに達した時期の出馬だったことから「ずっと、体調が悪かったですね。体がだるかったり、朝起きられなかったり」。右側頭部には人生初の円形脱毛も。「こんなの初めてですよ。被ばくの影響でしょう」と話した。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20121216-OHT1T00231.htm

最後っ屁をかます人に次はないです。残念でしたね。
以上であります。