(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

古田はプロ監督になるには早かったね

オシムとかへのバッシングとか、古田退団に関する報道を見て、急に思ったことなんですが、日本の監督に対する報道の幼稚さって、企業経営者に対する報道の幼稚さと一緒だなあと。レベルは同じだというニオイを感じるのです。
というのも、日本の場合、プロ監督もプロ経営者も少ないじゃないですか。選手として実績を残した選手が出世して監督になる。会社員として出世競争を勝ち残って経営者になる。両方とも同じ構図だと思うんだよね。
ところが実際は選手と監督、会社員と経営者は全く性格の異なる仕事なわけですよ。例えば責任の問われ方が違う。選手・会社員が求められるのは過程責任。選手の場合「バントしてランナーを2塁に送れ」と指示されたら、送りバントを成功させれば100点。その後どうなったかは問われない。ところが監督は「送りバントを指示した結果、点が獲れたか」が問われるし、更に言えば「で、試合勝ったの?」という結果責任の話になる。で、結果が悪ければ「あそこで送りバントさせたのが悪いんじゃない?」という話になるし、結果が良ければ「あの送りバントが良かった」となりかねない。経営者の場合は「利益をだしたかどうか」が全てになりますわね。こんなわけで、両者はかように異なるわけですよ。
であるならば、本来はプロの監督、プロの経営者は、選手とか会社員とは別枠で選ばれるべきだし、育成されるもんじゃねえかと。特にプロ野球における監督の選び方は何とかならねえものかと。現役時代の成績で選んでも仕方ねえだろうと。もうちょっと監督としての能力で選んでもいいような気がしますな。
例えば、社会人とか高校野球とかのアマチュア分野から、プロ野球の監督になる例があってもいいような気がするわけですよ。リーグ戦形式のプロ野球に対し、アマチュアはトーナメントが主体で、「負ければおしまい」というシビアな環境でやっているから、アマチュアで実績がある監督は、目先の1勝を得ることに関しては長けてるような気がする。「監督未経験の元名選手」と「甲子園優勝歴もある常連校の監督」じゃ、どっちがプロ監督としてふさわしいかと言えば、オレは全面的に後者だと思いますがね。実力主義で選べば答えは明らかじゃないですか。
これは野球じゃなくてサッカーの話だけど、この前、チェルシーを退団したジョゼ・モウリーニョなんてプロ監督の典型ですよ。サッカー選手としては全くダメだったけど、まずは体育教師として運動学を学び、ついで留学して英語を学んだ。ポルトガル語と英語に堪能になったところで、当時スポルティング・リスボンの監督をしていたボビー・ロブソンの元で「サッカーに詳しい通訳」になり、ロブソンの移籍に伴ってFCポルトバルセロナと渡り歩く。気がつけばスペイン語カタルーニャ語も話せるようになっている。同時に「サッカーに詳しい通訳」から「コーチもできる通訳」に変貌し、やがてはファン・ハールのもとでアシスタント・コーチになる。そして監督業をはじめ、FCポルトでチャンピオンズ・リーグなどを制し、チェルシーでもリーグ2連覇するなど大成功。選手として成功しなくても、監督向きの能力と、その鍛錬さえしてれば、監督になることは十分可能。むしろ、そうした能力があるかどうかわからんヤツとか、そうした訓練を受けてないヤツの方がよっぽどアレだと思いますよ。
ちなみにチェルシーを退団したモウリーニョ。次はイタリアかドイツで監督したいとのこと。その理由はイタリア語かドイツ語を習得したいからだとか。

こういう向上心あっての成功。もう一度監督になりたいなら、古田もこういう向上心を持って監督業を学んで欲しいですな。マネージメントのテクニックだけじゃなくて、心理学とか統計学とかも必須になってくるような気がしますよ。今後のアジア進出を考えるなら、韓国語とか北京語、広東語とか。こういう金脈を先につかんだヤツが成功するのではないかと。現役時代の成績で判断するのは時代遅れです。