(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

わからなくても拒まない

「わからない」と言う人間の類型。

『わからない』と言う人間は、2種類しかいないんだ。
わかれない人間と、
わかりたくない人間。 どちらかなんだよ。

わからない理由 - ぼくはまちちゃん!(Hatena)

もっと言うとこういうことなんじゃないかな?

  • 受け入れようとする人間
  • 拒もうとする人間

能力のあるなしは問題じゃない。わかる・わからないの問題でもない。それを受け入れる意思があるかどうか。ここが問われている気がする。
こう考えると、この3番目の類型も整理できるし。

「おまえは間違っている」と言いたい人間

404 Blog Not Found:三番目のわからない人間

これは「拒もうとする人間」に分類できる。拒み方の問題だよね。

  • 受け入れようとする人間
  • 拒もうとする人間
    • ただ拒みたい人間
    • 「おまえは間違っている」と言いたい人間

こういう整理ができるのかなあと。自分の内心で整理をつける方法と、人に対してアクションを起こす方法の違い。ともに拒むという点で一緒。
実はこの話は丁度書こうかなあと思ってたんだよね。というのも、オレ自身は典型的な「わかれない人間」なんだけど、「拒もうとする人間」になるのはイヤだなあと考えていたところだったので。悲しいかな能力不足で、わからないしわかれない。しかしだからといって、それを拒むのは無様だなあと。わからないまでも、拒みたくねえよなあと。
世の中が多様化していくなかで、あらゆる価値観があり、あらゆる知識があり、あらゆる哲学がある。世代によっても違うだろうし、国や国籍、民族、氏や育ち、環境によっても変化する。であるならば、そのときわからなくてもいい。そういうものがあることだけは受け入れたいなと。わからないまでも認めたい。わかるのは能力の問題なので、凡才のオレにはごめんなさいだけど、受け入れることだけならできる。認めるだけなら簡単。そういう風に対処していきたいと常々考えておったのですな。
特に身近なところでオッサンと若手の対立とかを見てきてるんで、自分より年下にはそうやって接したい。

あと価値観の押し付けはダメね。意味がない。価値観を共有する前に、価値観を押し付けられたら反発するだけ。自我が意外と形成されているので、価値観を認めつつ、話をすり合わせる努力が必要。

怒るオッサン 無視する若手 - (旧姓)タケルンバ卿日記

こういう部分。正直言って下の世代がどうなのかわかったもんじゃないけど、なるべくはわかりたいし、わかるようにしたいし、受け入れたい。頭ごなしに否定するようなことはしたくない。
まして「『おまえは間違っている』と言いたい人間」なんて無粋の極み。 これになるのは避けたい。是が非でも避けたい。わからないことを棚に上げて、わからないことをクサす感覚にだけは気をつけたい。こう思っておるのです。
相手に対する許容力で、理解力不足をフォローしたい。そんなタケルンバでした。バカはつらいよ、ふーっ(ため息)。