(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

格差とは自我の喪失

こういう意見も、結局は結果論にしか過ぎないと思うんだよね。「ロストジェネレーション世代は金の卵」説。

全般通して思うのは「モノは考えよう」。でもこれは事実。ポジティブに考えるとそう。ピンチと見るか、チャンスと見るか。これは単なるコインの裏表ではあるんだよね。どこに基準を置くかの問題にしか過ぎないわけで。片側を表と決める。それと反対の性質が自動的に裏となる。ただ、それが本当に表なのか、裏なのかは誰もわからない。

  • 現状が良ければ、過去はすべて善となり、表になる。ロストジェネレーション世代で良かった。良い時代に生まれた。
  • 現状が悪ければ、過去はすべて悪となり、裏になる。ロストジェネレーション世代で悪かった。悪い時代に生まれた。

この両者の差は、単なる結果論。結果によってコインの片側を決めただけ。良ければ表、悪ければ裏。しかしそれは本質じゃない。相対的に決まったもの。自分の満足度という価値観によって導かれた裏表。
なので、この金の卵言説にしても、相対的な思い込みにしか過ぎない。結果オーライ。現在の満足できる状況から導いた結論。

「正直、バブル就職組でなくてよかった、と思いますよ。」

2008-04-21

これ、現状に不満を持つ人がこう言うのとレベルは一緒。

「正直、バブル就職組であったら、と思いますよ。」

この「バブル就職組」を「団塊」とか「戦後生まれ」とか「団塊ジュニア」とかの他の言葉に置き換えてもいい。全部一緒。同じ話だし、同じレベル。現状を基準とした結果論。満足度によって現状を肯定するか否定するかというだけ。相対基準による比較。
そう。こういう話は相対的な話ばかり。どこにも絶対的な基準がない。

格差

この言葉がそれを象徴している。他者との比較の話なのだ。人と比べてどうなのか。その差の話ばかりしている。

人を気にするのはやめないか?

人なんかどうだっていいじゃないか。周りが結婚してようと、子どもがいようと、マイホームを持ってようと、フェラーリに乗っていようと、どうでもいいじゃんか。人を気にしてどうなるんだい? 気にするとそうなるのかい? 人は人、自分は自分でいいじゃないか。

周りと自分を比べるのをやめないか?

比べてもしょうがないじゃないか。世の中はどんなものでも上には上がいるし、下には下がいる。比較が必要ないのはトップとビリしかいないんだぜ。あとは下を見てニヤつくか、上を見て悔しがるだけの比較に過ぎないよ。順位なんか意味がない。順位に意味があるのはレースだけ。

自分の不満を世代の問題にするのをやめないか?

自分の不満を世代の問題にしてもしょうがないじゃないか。そんな大きな問題じゃないぞ。単に自分の現状に満足or不満ってだけ。満足なら自分の世代は優秀になるの? 不満ならダメ世代? 関係ないよ。個人の問題。

自分が満足すればいいじゃないか

自分が満足すればいいじゃないか。人の満足は関係ない。人と比べてもしょうがない。世代の問題にしても意味がない。問われるのは自分。自分だけ。
世の中の成功基準に自分を当てはめる必要なし。自分が幸せならそれでいい。自分の幸せをもって表と為す。それですべて決まるじゃないか。それこそが一番確実な基準。人に影響されない、確実な基準。自分がコントロールできる基準。
格差なんて自分が人より上だとか下だとかを意識するからできる。上も下もないと思えば格差なんてない。年収300万円でも幸せになれる。アルバイトでも契約社員でも幸せになれる。非モテでも幸せになれる。大事なことはたったひとつ。

自分の幸せが何か知ってる?

これがわかっていればどんな環境でも幸せになれる。幸せになれるのは、幸せが何かをわかっている人間。その絶対基準を知っている人のみ。

本当の勝ち組は、いわゆるロスジェネ世代に存在している。そして、この「世代の中の格差と対立」は、一生継続する。これからずっと継続する。彼らが40代になっても、50代になっても、そして60代を超えても。

2008-04-21

真の勝ち組はそもそも「勝ち組」という言葉を使わない。勝ち負けというのは相対世界での言葉。絶対世界では必要のない言葉。世代もない。格差もない。対立もない。ただそこに自分の幸せがあるかどうか。それを実現できているかどうか。それだけのシンプルな世界。

いや格差が継続して存在するだけではない。むしろ格差は拡大すると思われる。

2008-04-21

拡大するのは格差ではなくて、相対的な価値観に対する依存心。自己がなく、絶対基準がなく、幸せが何かわからない。だから人を気にする、人と比較する、問題を世代のせいにする。
自我の喪失こそが、格差拡大の原因。自分の幸せを知ろう。コインの表を決めよう。人より幸せになる必要はない。

心安らかに日々生きる。いいじゃないの幸せならば

いいじゃないの幸せならば - (旧姓)タケルンバ卿日記

こうありたいタケルンバでした。