(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

だが、それがいい

面倒だから面白いってところもあるんだけどな。女の子と付き合うのが面倒ですか、そうですか。

でもね、面倒くさいのよ。
女の子がというより、「女の子と付き合う行為」そのものが。

女の子と付き合うのが面倒

だが、それがいい
面倒だからいいって面もあるよね。時間やお金や体力を使うことも多々あるわけど、それがいいこともあるわけで。
オレはニック・ボックウインクル型のプロレスラー気質なもので、相手の力を引き出すのが楽しいわけです。相手の良さを引き出すのが楽しい。相手を光らせることに喜びを見出しちゃうタイプ。

「相手がワルツでくれば私もワルツを踊り、ジルバを踊ればジルバを踊る。相手に合わせて踊るのさ」

こういう精神でして、ええ。相手に合わせて自分も踊る。そして良さを引き出して、いい試合にしようと。そういう過程が楽しいし、いい結果になってくれればなお楽しい。
あるいはサービス業精神っていうんですかね。喜んでもらったり、楽しんでいる様子を見るだけで幸せ。人のプラス感情が自分のプラス感情になるので、面倒なことが苦にならないし、そもそも面倒だとも思わない。好きでやってるのでね。好きでやってることを面倒とは言わんでしょ。たとえそれがどんなに手間がかかることでもさ。

  • 相手に合わせてばかりで自分がねえ
  • 自分がやりたいことができない
  • ストレスたまりそう

こういう反論がありそうだけど、そうじゃないんだな。自分がやりたいことの範囲内で相手に合わせてるんだな。だからやりたいことはできてるんだな。だからストレスはたまらないんだな。実は自己中で行動してるんだな。相手に合わせてても、その実情は自分勝手なんだな。
要するに「やる」と「やらされる」の違いって言うのかな。能動と受動の違い。相手が望むことをやるのと、相手が望むことをやらされるのではちょっと違う。「手を握る」みたいな他愛のないことだって、やらされる感があると萎えるじゃない。
言い換えれば、彼女との関係を自分の土俵に持ち込むか、相手の土俵に引きずられるかの違い。相手に合わせてるけど、実は自分の土俵。自分がやりたいようにしてる。相手が望むことに合わせているから相手主導に見えるけど、演出・監督・助演男優byタケルンバ。主演女優を魅せつつ、実はやりたいようにやっているんだなあ。ばれてないだけで。
なので、手間は大したことないんだなあ。考え方の問題だけど。

相手のことを純粋に好きという意欲よりも、その関係を維持する手間的コストの方が高いので
付き合うという行為を「面倒くさい」と感じてしまうのだろう。

女の子と付き合うのが面倒

費用対効果の問題で言うなら、大事な要素をひとつ見過ごしてる。

付き合うと、彼女をカスタマイズできる

持ち家と借家の違いがあるんですよ。付き合うようになると、自分好みに変えられる。変えていくことができる。赤の他人だとこれができまへん。

  • 「今度ニーソックスはいてみてよ」
  • 「ニットが似合うと思うよ」
  • 「コンタクトのほうがいいんじゃない?」

彼女ならセーフだけど、他人に言ったら単なる「どうにかしちゃった人」だもんね。
で、実はこれが大きい。これがあるからオレもプロレスできるわけで。相手をリードできるのはお互いがカスタマイズできる関係性だから。相手に合わせられるのは、相手も合わせるであろうという信頼があるからだし。持ち家同士の付き合いだからこそなせる業ですよ、はい。なので、費用対効果としても見合うと思うな。好きなようにできるから。アズ・ユー・ライク。
逆に言うと、カスタマイズされることもある。それはそれで楽しい。自分の良さを引き出してもらうこともあるわけで。そうやってお互いが変化してしくのも楽しいもんだよ。もっとも痛い方向に変わるリスクはあるがな。ま、そこは各々自重すれ。ペアルック注意。ドン・キホーテでそろえた服注意。痛くならない程度に変化を楽しむと吉。