(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ブログを書くときの意識

ふうむ。皆さんいろいろ考えてますね。ブログを書く。中でも長文を書くことについての記事3本。

自分はこう考えてますね。

長短よりもおもしろさ

結局ですよ。おもしろい文章であれば、長さなんて気にならないんです。むしろ長い方がいい場合も多い。おもしろいんですもの。できるだけ長くそのおもしろい世界に身を置いていたい。小説なんか特にそうなんですけど、その世界に浸りきった場合、クライマックスが近づくと悲しい。終わることが悲しい。もっと読んでいたい。

1.長文は好まれない
2.長文を最後まで読んでもらうには、工夫が必要

ブログ。長文を書くとき気をつけたいこと。 - もっこもこっ

正確には「長文は好まれない」のではなくて、「好かれないものは長く感じる」じゃないかな? 対偶の関係を考えてみればわかる。ある命題と対偶は価値が同じ。命題が正しければ対偶も正しい。でも対偶が間違っていれば、命題も間違っている。

  • (命題)長文は好まれない
  • (対偶)好まれるのは短文

命題だけ見ると合ってそうな気がするけど、対偶を見るとおかしな気がする。必ずしもそうかな。短文が必ずしも好まれるとは思わない。読みやすいし、わかりやすいけど。

  • (命題)好かれないものは長く感じる
  • (対偶)短く感じるのは好かれるもの

こっちの方が自然な気がするんです。楽しい時は短く感じ、つまらない時は長く感じる。文章もそういうことじゃないかなあ。

おもしろさの前提は理解

そして「おもしろい」と感じてもらうにはいくつか前提がある。その最も重要な前提が理解。読んでもらい、書いてある内容をある程度理解してもらわんと、おもしろいと思ってもらいようがない。「何となく」とか「意味わかんねえ」ってケースもあるんだけど、それにしたって最低限の理解は必要。
なので、とりあえずはわかりやすい文章であるって大事だと思う。もちろん内容の質も大事で、質を否定する気は毛頭ないんだけど、しかしそれにしたってわかってもらわねば内容如何の話にならん。
理想は「高度な内容を、誰にでもわかるように」。質とわかりやすさを両立するのが一番いいんだけど、どっちを優先すべきか? って話なら、オレはわかりやすさを優先しますね。わかっていただかないことには、評価を受ける段階にすらならない。おもしろい・おもしろくないのレベルにすら到達できない。質以前の問題になるよりは、質を問われる段階に上がっておいた方がトクな気がします。わかりづらい文章って、長ったらしく感じるし、それってつまんない文章であるというフラグですからな。それは回避しときたいし。

書く時は一気に

それにですよ。書くことがあるときは、一気に書いた方がいいと思っておるのです。不思議なことに文章にはリズムとか勢いが出る。そういうものがある時は、勢いでダダーッと書いてしまった方がいいと思うんですよ。それでたとえ長くなったとしても、勢いがある文章の方がおもしろいことはままある。
少々文章が長くなろうとも、書きたいことをぶわーっと書いた方が、本人的にもスッキリしますしね。「書いたぞー」って満足感がある。書きながら文章の長さを意識するよりも、全部書き上げてから考えた方がいい場合は多いです。書くのを止めると、せっかく勢いづいてきた思考を止めることがありますのでね。勢いつけて書ききってから、後で削る方が賢明のような気がしますな。

僕はブログを書く時は一気に書き上げます。文章を書くというのは体力勝負なので、自分の熱が高いうちに一気に強火で書き上げないと気持ちが文章にのってこない。

僕がブログを書く時に気をつけていること - GoTheDistance

オレもこれには賛成ですね。自分は下書きとか、書き溜めとか一切しないタイプですし。書くネタが思いついたら、一気にはてなダイアリーの編集画面で一気に書いてます。その方が集中して時間も使いませんしね。

自分がおもしろいと思えばおもしろい

あとこれですね。自分基準。長かろうが短かろうが、自分がおもしろい文章は良い文章ですね。とりあえずひとりめの読者なわけなんで、自分は。それがおkなら、とりあえずはおk。他の人は他の人。とりあえずは自分をクリアせねば。で、そこをクリアしたら良しとすればいいと思うわけですよ。他人がどう思うかなんてわかりっこないし。
だから自分で長いと思った時は削るべきときだし、短いと思ったらつけたしますね。自分の感覚を大事にしたいんで。で、それは字数とかじゃないです。読んでみての感覚ですね。それは全般的なデザインの問題も加味されますし、単なる印象であったりしますけど、自分が自分のブログ記事について思う感想なので、それは大事にしたいと思ってます。自分が気に入らないものを公開したくないですしね。ま、そこのこだわりレベルは厳しくもなんともないんで、すぐおkしちゃいますけど。

仕事でも何でも、自分に対するハードルとか、要求の高さが逆に出力を阻害することもある。

何でもいいから、出してみろ - (旧姓)タケルンバ卿日記

こう思ってるんで。ほどほどでおk。

振り返って読む時に楽しくなるように

あとこれだな。オレは紙での日記も自分用につけてるんだけど、読み返すのが好きなんです。10年日記でつけているので、同じ日付の行動がタテにズラッと並ぶ。それを見比べるのが好きなのね。
で、これはブログでもそうなんです。自己愛が凄い人間なので、自分の書いた文章が好きだし、過去に書いたものも好きなんです。もっとも、過去の文章というのは、大概未熟で、残念な仕上がりで、自分としても見て恥ずかしいことが多いわけですが、その中でも今の自分にはない、ナイスな視点をしやがるときがあるわけですよ。「昔のオレ、ナイス!」ってところがあるんですよ。
そういうものを見るとうれしいんです。楽しいんです。おもしろいんです。書いたのは間違いなくオレなんだけど、他人のブログを読むのと同じ感覚で見ちゃう。「おお、オレおもしろいなあ」と。気持ち悪い人間でごめんなさい。
なので逆に言うと、楽しくないことはしたくない。つまらないことはしない。見返したとき、気分が落ちることは書きたくない。

悪口は書かないように

ですので、人の悪口はあまり書きたくありませんね。揉め事に突っ込もうとも思いません。ひたすら平和でいたいですね。こういうのは書くとスッキリしますけど、一瞬だけ精神衛生にいいだけで、後々いいことがありませんし。自分のマッドな部分を繰り返し見てしまうのは、精神衛生上良くないですし、悪口とかを書いた負い目とか、そういう自分に対して自己嫌悪したりとか。あるいは悪口を書いた相手が反撃してくることだってあるだろうし。相手も人間ですからね。反論して当たり前です。
なので、書いても意見や主張に対する批判ですね。悪口とは一線を画したい。悪口を書いて「悪口を書くのは愛だ」とか「悪口を言われるほうが悪い」みたいな自己弁護をするのもカッチョ悪い気がしますし。ワタクシがやるとしたら一撃必殺ですな。一回コッキリ。但し一撃で仕留める。ダラダラと論争が続くのは、個人的に堪えられない。面倒なんでね。そういうのは勘弁したい。そういう戦場に出ようというつもりは毛頭ないですね。平和が一番ですよ。平和、平和。平和を乱すなら一発勝負。反撃を受けずに倒す。これに限りますよ。やろうとはまったく思わないですけどね。

書くことは生きること

以上がワタクシのブログを書くことについての話なんですが……長いですか? 長いと思ったのなら、つまんなかったのでしょう。ごめんなさい。短いと思ったのなら、あなたのお気に召す箇所があったことでしょう。そういう認識でおります。ま、できれば「短い!」「もっと読みたい!」「たくさん書いて!」と思われるものを、多く書いていきたいとは思いますけどね。自分が書きたいことを書き、自分がおもしろいと思えるものを書いていきたいわけですが、もちろんそれで皆さんに楽しんでいただきたいという気持ちもあるわけで。そんなことを考えながら、時に揺れながら、つらつらと書いております。今日も、明日も、そしてあさっても。文章を書くことは、自分にとっては生きる行為そのもの。今後も続けていきますので、どぞよろしく。