(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

何のためにブログをやるのか

月曜日、アスリート勉強会に参加しまして。

講師側という偉そうな立ち位置で参加したわけですが、自分自身も勉強になりまして。途中、すっかり生徒側の気分で話を聞いていたところもあり。他の人の考え方は刺激になるもんです。
ただ、行き着くところはこれで、ここが定まらないと具体的な方向性は決まらないのかなあと思ったり。

何のためにブログをやるのか

この目的があっての、具体的な手段だと思うわけですよ。目的を達成するための手段。
例えば俺はブログは個人的な楽しみでやっているので、基準を「楽しいかどうか」におけばいいわけですね。なので「楽しそうなことをやる」でいい。そして「楽しくなさそうなら、やらなくていい」でもいい。これで十分目的にかなっている。
しかしブログの目的が楽しさ基準じゃないのなら、場合によっては楽しくないことでもやらなくてはいけないし、やるべき局面もある。
たとえば先日の勉強会、ブログをはじめたきっかけを「スポンサーの要望で」とお答えになってた方がいましたが、その場合は「スポンサーの要望にかなうかどうか」がブログをやるにあたって望ましい基準になるわけですね。個人の楽しさよりも、スポンサーの満足度。こっちが重要。
となるとアクセスが増えて、注目度が上がった方がスポンサーはうれしい。スポンサーの広告が目に入る機会が増えれば増えるほどうれしい。また、イメージの上がる出来事と連携して、スポンサーの企業イメージが上がる展開だとうれしい。
一方で、アスリートがブログをやる場合に、「ファンのために」という目的意識があってもいい。ファンが喜ぶ情報を発信する。細かな出来事の報告をしたり、コメント欄でコミュニケーションをしたり。
ただ、この場合に「スポンサーのために」と「ファンのために」じゃ、相反するものが出てくる。「スポンサーのために」の場合、ブログが有名になり、認知度が高まり、露出が増えるほうが嬉しいわけだから、アクセスが増えた方が好ましい。ファン以外に有名になる必要がある。場合によってはスポーツという側面を犠牲にしてでも有名になった方がいい。アスリートとしての認知じゃなくてもいい。「スポーツをしているおもしろい人」でも構わない。ブログで書くべき記事も、あんまりマニアックなものは不向きだし、一般性の高い記事が好まれるはず。
しかし「ファンのために」の場合、アスリート自身や、取り組んでいる競技に関心があってブログを読んでいるケースが多いので、殊更露出を増やさなくてもいい。既に獲得しているファンのために情報を発信することを優先すればいいので、新たなファン獲得は二の次でも構わない。アクセスが別に増えなくてもいい。ファンに認知されることが大事で、アスリートとしての情報を発信する必要がある。マニアックな情報が好まれるし、ファンなら分かる深い情報に価値がつく。
もちろんこれとは別に「自分のために」であってもいい。息抜きで。気分転換で。これも立派なブログをやる目的。アスリートであっても息抜きでブログをやってもいいわけで、何の問題もない。
この場合、アクセスは増やそうとしなくてもいいし、ファン置いてきぼりでも構わない。何せ自分の満足度のためにブログをやっているわけなので、あまりそういうことを気にしなくてもいい。
と、こんな感じでブログをやる目的と、そのために好ましい手段というのはどうしても違ってしまうので、「何のためにブログをやるのか」という芯がないと、とるべき手段も見えにくいのではないのかなあと。目的地があってこその移動手段ということだわね。行き先も決まってないのに、バスだ電車だタクシーだって話してもしょうがないわけでね。
目的あっての手段だなあと。その関係性に思いを強くするのでありました。