老害について考えた
読んだ。
なんかもやもやしたので書く。
誰にも分からない未来の話をするとき、経験の寡多を問題にするのは卑怯だ。
老害の本質
とあるけども、自分が考える老害の定義はこれだ。
自分の経験上でしか語ることができない人
そのため、こういう感じになる。
自分以外の経験を否定する
自分の経験がすべての尺度なので、自分が知らないことは無視するし、否定的になる。
他人より自分の方が正しいという強い思い込み
他人の経験より自分の経験なので、他人より自分の方が正しいという考えになる。
著しい排他主義
自分の経験上理解できないものにたいしては排他主義が働く。
こういう現象は一般的に加齢に伴うことが多いので「老害」と呼ぶのだと思う。昔、生活習慣病を「成人病」と呼んだようにね。
ただ、成人病が成人だけがかかるものではなく、若年層でもかかりうる病気であることによって「生活習慣病」になったように、「老害」も本来は加齢の有無に関係なく誰でもなりうるものだと思う。
加齢にともなって経験を積み、その経験に伴う過剰な自信であるとか、あるいは「後に引けない」という見栄の問題であるとか、思い込みによって老害は発病すると思うのだけれど、若い人でも極端な視野狭窄などによって起きうる。
自分以外の経験を尊重したり、自分の知らない価値観を肯定したり、あらゆる可能性を排除しない柔軟な思考があれば「老害」にはならない。お年をめした方でも「老害」という言葉から程遠い人もいらっしゃるし、逆に若くして「これは重度の老害ですね」という末期患者もいらっしゃる。
経験を積むことで人は思慮深くなると思いきや、そうもならないことがある。思い込みというのは時に罪である。
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