(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

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うま過ぎると、うまくなくなる

食い道楽であり、日頃食べることばかり考えているタケルンバでございますが、一応色々とポリシーがあるのだ。その中で最も重要なのがコレ。

  • うま過ぎると、うまくない

何だか矛盾する話。「うまいもの食いたいんじゃねえのかよ」というツッコミが聞こえてきそうですが、うまいもの欲っすれど、うま過ぎるものを求めていないんですよね。程々にうまいものがいい。
ま、これは単純に味の好みではあるんですけどね。見た目のコッテリさとは裏腹に、オレはアッサリ好きの薄味好きなのです。ガツンとうまさがくるものより、遠くにうまみを感じるものが好きなわけです。しみじみとうまさを感じたいわけですな。
そしてもうひとつの理由が飽きの問題。うま過ぎるものは飽きるんですよ。味が明確すぎるから。ラーメンなんかでもコッテリ系はすぐ飽きる。家系なんて特にそう。でもアッサリ系は飽きない。その理由はうまみが割合少ないため、舌がうまみに慣れないからだと思うんですよね。コッテリはうまみがこれでもか!と押し寄せる感じだけど、アッサリ系はこっちがうまみを探す感じかなあと。
これ、ラーメン以外もそう。例えばパスタ。濃厚なクリーム系のパスタ。これはこれでうまいわけですが、毎日食えるかと言われるとキツイ。でもボンゴレみたいな単純なヤツは飽きんわけですよ。ニンニクとトマトのみじん切りを和えただけのヤツとかね。シンプルなヤツは何回食べても飽きん。
または肉。サシの入った霜降り肉はうまい。うまいですが、食べ過ぎると飽きる。すぐ飽きる。それよりも赤身のうまいのがいい。寿司でのトロなんかもそう。特徴があり過ぎると飽きるのだ。うま過ぎるものより、何の変哲も無いものの方が、長期的には強い。
ま、オレは貧乏人体質なんで、ハレの食事より、ケの食事を求める傾向があるのかも知れませんがね。日常的に続けて食べられるものにこそうまさアリ。