(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

何が言いたいかわかりません

一体何が言いたいんだろ。池田信夫大先生の記事。

表題が「ウェブを『匿名の卑怯者』の楽園から脱却させるには」なので、毎度おなじみ「匿名はダメ」という定番ネタを炸裂させたいと思うんだろうけど、その割には不思議なロジック。例えば彼のブログのアクセスが多いと。日本で29位だと。でもって管理が限界だと。

 コメントも、多いものではひとつの記事で100を超え、管理の負担が限界に近づいている。

コメントされて困るなら、コメント欄閉じればいいのにな。アクセスが増えて困るならアクセス制限かければいいし。「管理の負担が限界」なのは、対策をとらねえ自分にあるのでは。日本のネット社会の問題でも何でもない。
アクセスが増えて、サーバーの負荷が増えても、困るのはブログの運営会社だしね。「コメントにいちいち答えるのが面倒」が「管理の負担が限界」に置き換わってるだけじゃないかなあ。「放っとく」という選択肢がある以上、それは個人の問題じゃないかね。サーバーの負荷増大に関する問題も、ブログをどこでやるかの選択の問題だろに。
もっと不思議なのはこのくだり。

 おかげでテクノラティのランキングをみても、日本のブログの上位は芸能人やオタク系ばかりだ。米国では、ノーベル賞の受賞者がブログを開いていたりするが、日本ではそういう専門的なブログはほとんどない。もともと日本人は公開の場で議論するのに慣れていない上に、それに対する反応が匿名の罵倒ばかりなので、「ブログは恐い」というイメージができてしまったのだ。

芸能人やオタクが悪いのかと。ノーベル賞の受賞者は偉いのかと。専門的なブログの方がいいのかと。まあツッコミポイントに事欠きません。「言論の壊滅した日本のブログ」というキャプションも痛い感じ。

  • 芸能人やオタク系のブログが多い → 言論の壊滅した日本のブログ

ということなんでしょうかね。個人的には芸能人・オタク系・ノーベル賞受賞者いずれのブログも無数にあり、専門的なものも、そうでないものもあるのがいいと思うのだけどね。芸能人・オタクはダメで、ノーベル賞受賞者は良しという発想の方が言論弾圧な気がしますよ。専門的とか非専門的でレッテルを貼るほうが言論の破壊というかね。
また、さっきの引用の前段と後段が全然違う話になってるのも凄い。芸能人やオタク系をクサした上でこれ。

 もともと日本人は公開の場で議論するのに慣れていない上に、それに対する反応が匿名の罵倒ばかりなので、「ブログは恐い」というイメージができてしまったのだ。

芸能人・オタク系のブログが多いのと、日本では専門的なブログが少ないこと。それと日本では議論の慣れが不足しているのと、匿名の罵倒が多いこと。これと「ブログが恐い」というイメージができたことはどうリンクするので。よくわからん。ブログって恐いんですかね。唐突にこういう話が出てきてよくわからんよ。どこからこういうことになったんだろ。情緒的過ぎてわからない。
2ページ目は毎度おなじみの話だからスルーしておくけども、1ページ目の話はだいぶひどい。思いのままにとりあえずクサしてみたという印象。こういうロジックのないクサしが一番困るんだよね。匿名か非匿名に関わらず。だって、突っ込むポイントが多いし、主張の前後に脈絡がなくて。「何でそういうことになんのよ」連発。
「こういうこと書くから荒らされんだよ」っていう印象を禁じ得ません。そりゃコメント欄荒れるわ。「天は人の上に人を作らず」という言葉を捧げる次第。匿名性より、人間性じゃね?
(追記)2008/02/08 0:15
この人、自由主義者らしいんだけど、ウソだろ。ま、自由主義にも色々あるけど、自由という価値に意義を見出すという点には変わりないわけで、属性とかで判断するのって自由主義に反するんだが。

みたいな考え方はどうにもこうにも合わない。自由主義じゃねえだろ、これ。「おめえらは自由じゃなくて良し」みたいな話にならないか?
自由に対するコストはあるって考え方は同感だし、わしゃ「自由責任主義」って考え方なんだけど、逆に言えば自由に対するコストを払い、義務と責任を果たしていれば、誰でも平等に自由であるってことじゃないとおかしくないかねえ。オレも自由主義者なので、不思議な思考でござるな。