(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

ムーディー勝山+小島よしお+パッション屋良=大人力

必要なのは「スルー力」じゃないですかね。無視する力。受け流す力。気にしない力。そして都合よく生きる力。

主張するところはよくわかる。

「あなたが議論を吹っかけているエントリを書いているのも一人の『人間』であり、傷ついたり腹を立てたりする」ということ、そして、「すべての人間が、議論をしたくてブログをやっているわけではない」ということ。

議論したいと思って書いているわけじゃない。ツッコミを期待しているとは限らない。であるならばほっとけよと。よくわかります。
ただ、これにしてもひとつの意見にしか過ぎない。

彼は、自分の気持ちをどこかで吐き出したい、だけなんですよね。

ならば、議論をふっかけたいだけの人がいるってことも認めなくてはならない。何かと人に構いたい人もいる。悪意があってそうする人もいるし、全く悪気はなく、たまたまそういう行動をナチュラルにとる人もいる。そういう単なる多様性の話なんだよね。「世の中には色々なヤツがいるよね」と。自分にとって好ましいヤツも、好ましからざるヤツもいる。それだけの話。
「ほっといてくれ」というのも数多ある主張のひとつ。「ブログは議論の場である」という主張と等価。どちらも正しく、どちらも間違い。答えは受け取る人によって違うというのみ。であるならば、その主張に合わない人は、都合よくスルーするしかないのですよ。「ほっといてくれ星人」は「構いたい星人」のコメントをスルーすればいいし、「構いたい星人」は相手が「ほっといてくれ星人」だったとしてもめげずに秋波を送るだけ。それぞれが都合よくやればいい。片方が「オマエはおかしい」とするのはよろしくないような気がするんだよね。「オマエもおかしい」とそれこそ千日手だから。議論を求める人も、求めない人も、どちらか一方が決定的に正しいわけじゃないので。
それにはてなブックマークの使い方なんて、そもそも人の勝手だし、人次第でしょ。議論の道具に使っている人もいるし、単にブックマークにしている人もいるし、情報整理の手段にしている人もいる。それは人それぞれ自由。他人がとやかく言う話でもなんでもない。
ちなみにオレは気になるものをブックマークに入れ、必ず一言コメントを入れる。そのとき自分がどう思ったかをメモっておきたいので。で、この使い方を「それ、おかしいよ。やめろよ」と言われても困る。「何でそうしてんの?」と言われても「そうしたいから」としか言いようがない。理由はないもの。で、別にそういう使い方でいいもんだし。使い方・使い道は多様でいいし、感じる意義は人それぞれでよろしいのでは?
ムカつく意見は見なきゃいい。偉そうな意見は流せばいい。自分に何かを書ける自由があるってことは、相手にもその自由があるってこと。相手の自由を狭めようとすると、その結果、自分の自由までなくなってしまう。気に入らないことは十分よくわかる。けどもここは忍耐も必要。めんどくさいことは受け流そう。そして「そんなの関係ねえ」だ。何を言われても「そうだね。プロテインだね」で。
最終的にはこの名言に尽きるのでは?
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ」