(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

テレビは終わらない

ノスタルジーを感じたのは一緒なんだけど、ここまでは思わないな。テレビが「死んだ」とか「終わった」とは思わない。

要するに、テレビは死んだのだ。

http://owa-writer.com/2008/08/fns27.html

こう思わない理由は単純で、オレの場合、そもそも「テレビはじまったな」とか思ったことがないから。はじまってないから、終わってもいない。生きてると思わないから、死んでもいない。殊更凄いと思わないから、ダメとも感じない。そういうシンプルな理由なんですよ。前提が違うので、おわライターさんとは結論が違ってくる。
だから、この部分も違ってくる。

今年の27時間テレビは面白かった。もちろん、27時間のうち全部が全部面白かったというわけではない。ちょっとどうかと思う部分もあった。でも、全体としては最高に近い出来だったと思う。

http://owa-writer.com/2008/08/fns27.html

最高……なのかな? いや、おもしろかったですよ。よかった。よかったけど、あれが最高かと言われるとわからない。これ本音。というのは、これまでにもっとおもしろかったものがあった気がするし、今後、もっとおもしろそうなものが生まれそうな気もするから。
今回、明石家さんまが凄かったのは言うまでもないし、ビートたけし島田紳助の凄さを再確認したのも確かなことなんだけど、かといって他の人間がダメかと言えばそうでもないし、今後に展望がないかと言えばそうでもない気がしてる。何でかと言うとこれまた理由は単純で、明石家さんまビートたけし島田紳助で笑えないことがあるから。そして名もない若手に笑うことがあるから。「笑える」とか「おもしろい」という観点でいわゆる大御所だけが突出していると思えないんだよな。凄いけど、凄い人は他にもいる。若手の中にもきっといる。
なのでオレが感じたノスタルジーは、過去が過去になったのを確認したことにあるんだよな。さんまやたけし、紳助の後の世代でも笑える。つまりは彼らは最新ではない。過去になった。昔になった。今、確かに存在しているけれども、新たに出現した存在ではない。オレのノスタルジーはそこ。「懐かしい」というより時間が経過したことの確認なんですよ。最新機種が出てきたことで旧型機種になったって話だね。携帯電話みたいに。そこで時間を感じたと。そういうこと。
ま、オレは笑いの沸点が低いので、余計にそう感じる部分があるのかもしれないけど、そんなに悲観することはないと思う。本当は今のお笑いもおもしろい。十分におもしろい。さんまがいなくてもテレビはおもしろい。他の人だっておもしろい。ただ、さんまがいなくなれば、さんま的なおもしろさがなくなるというだけで、それは「清原が引退するとさみしい」とか「イチローには長く現役を続けて欲しい」という感覚と同じなんじゃないかな。長いこと見てる登場人物を失う寂しさ。でも、彼らがいなくなっても野球はおもしろいはずだよね。登場人物は変わっても、競技そのものは続いていく。そういうことじゃないかなあ。さんまがいなくなってもテレビはおもしろいよ。おもしろいことをやろうとする人がいるかぎりは。

この番組は面白い。でも、この番組がいちばん面白いようなら、テレビはもう終わりだ。

http://owa-writer.com/2008/08/fns27.html

あくまで「さんま的テレビ」の終わりであって、テレビの終わりではないと思う。もう新たな価値観は生まれてるし、新たな登場人物はそこにいる。そこに気付くかどうかじゃないかな。

テレビはもう終わりだ。でも、本当に終わるようなら、また何かがはじまる。

こう思うわけです。はい。