(旧姓)タケルンバ卿日記避難所

はてなダイアリーからの避難所

思えば遠くへ来たもんだ

最近はすっかりオフ充タケルンバです。こんにちは。
でも、こうなったのってつい最近のことなんですよ。ブログをはじめてから、初対面の方のオフってほとんどしたことなかった。遡って調べてみたら、昨年の9月末が最初。ここからまたしばらくなくて、そして今年の6月以降に本格化。id:ooo0_temaki_0oooさんと会ったり、まなめ王子と会ったり。
で、気がつくとTwitterのおかげもあって、どんどん付き合いが増えてった。てまきさんをきっかけに、id:hrykm169さんと会った。まなめさんをきっかけにid:gothedistanceさんやid:love_chocolateさん、id:guri_2さん、そしてプロフィール写真をパクったid:dropdbさんまで!(生はてなアイドルに会えるとはなあ)
振り返ると本当にあっという間でしたね。何だかあっという間に付き合いが広がって。ギークハウス2の麻雀大会に行って、そこから@FMNAKAさんと面識ができて、もやし祭りに参加した。するとそのきっかけでまた他の方と面識ができて……とか。あるいはid:dropdbさんが「はてな村」ってCGIゲームやってて、そのオフ会でまたもやいろんな方とお知り合いになって、今やちょくちょくご飯食べたり。id:love_chocolateさんにもいろんな方をご紹介していただきましたし。サバイブSNSのBBQにお邪魔させていただきましたしね。思えば、昨日一緒に食事したid:reponさんもこれがきっかけでしたね。小飼弾氏にもお会いできたし。
そうこうしてると、付き合いがある人たちが実はつながってたみたいなこともありまして。旧知の仲だとか、職場の同僚でしたとか。関係はどんどん急速に広がっていくんだけど、実は世間って狭い。そういうことを思い知る機会が増える。どこまでも広がるようで、それでいて近い。本当に近いところにいるのに気付かない。
思うに、ネットというのは、やっぱり距離を狭めますね。いろいろなものを近くする。Twitterで呼びかければ、すぐオフの流れができるし。また、知らない人でも、普通にやりとりできるし。ブログのトラックバックなんかもそうだけど、ああいうつながりを通して、人間同士の距離は本当に近づく。しかも簡単に。コストもほとんどなく。
ただ、ネットは距離をゼロにはできない。ゼロに近づける。近づけるんだけども、ゼロにはできないんですよ。残りの距離が1だろうが0.5だろうが、0.1だろうが。あるいは0.00001だろうがわからないけど、0にはならない。最低限の一歩は必要なんですよ。最後の最後に、ほんのちょっとだけ踏み出さなければいけない部分はある。あとはそれを残り超えるだけの距離はある。
ただ、そこのコストも減っていて、特別な勇気はいらなくなってる。メール一本の勇気。ワンクリックの勇気。手を上げるだけ、「参加したい」と書き込むだけ。それだけだったり。
しかし「それだけ」と言いつつ、それが億劫だったり、面倒だったり、恥ずかしかったり。あるいはそういう経験がないから、なんとなく避けている。あるいはせっかく参加しても、いまいち流れに乗れなくて、うまく話せなかったり。うまくいってる、楽しそうな話しか書いてないから、タケルンバはオフでいつもうまく行ってると思っていることでしょうが、そんなことはないんですよ。「ああ、もう少し積極的になれればなあ」「失敗したなあ」と振り返ることは結構あります。根が人見知りですし、上がり性なのでね。
先日のjava-jaの飲み会にお邪魔したときなんかは、まさにそういう感じで。せっかくござ先輩に誘われて行ったのに、皆さんのあまりのパワーを目の前にうまく話せず、入り込むきっかけをつかめず、orzしてしまいました。ブログとか、写真では見たことがある人があちこちにいて、緊張しまくってたんですけどね。「おお、あの人がyoshioriさんか」「写真と同じだ」とか。ま、オフ充だなんだ言ったって、実際こんなもんですよ。最初の一言をかけるのにためらう普通の人間です。現場にいながらも、最後の一歩を踏み出せないこともある。
でも、そういう場所にいることも大事だとは思ってます。次、またそういう機会があるかもしれんしね。一歩を踏み出せばなんとかなる機会を常に確保する。結局オフ会だなんだって言ったって、人付き合いなわけで、人に会わねば広がらない。メールを出さねば、呼びかけねば、手を上げねば会えない。
ためらってもいい。また、ためらい続けることが大事だと思うんですよ。なんかの拍子にクリックしてしまうこともある。要するにきっかけです。ギリギリのところ、淵の淵にいれば、何かの拍子に動き出す。そういうところに身をゆだねてみてはどうかと思うのです。何かを起こしたい。でも怖い。うまくいかないんじゃないか。でも行かねば何もかわらない。そういうジレンマとか葛藤があっていい。ただ、そういうときに前に出てしまうきっかけがあればいい、ちょっとした気持ちの動きで前に出れる瞬間があればいい。そして、そのちょっとの動きでも事態が動き出すところに自分をおけばいい。そう思うのです。
参加してうまくいかないこともあるだろうし、失敗することもあるだろうし、また、参加すらためらってスルーすることもあることでしょう。でも誰だってそうで、そういう中からうまくいった人付き合いが残る。そこからまた次の展開が生まれてくる。失敗の中から経験による成功が生まれてくるし、小さな成功だとしても、それが呼び水となって次の展開が生まれることもある。
いずれにせよ、動かなければ何も得ていないわけで、何かをした分だけプラスなのは間違いのないところ。大いに迷い、大いにためらい、大いに臆病になればいい。その中で、きっかけひとつで変わる何かがあればいい。そう思う次第であります。
取り留めのない話になってしまいましたが、今回はこんなところで。